「は行」の故事成語一覧
敗軍の将は兵を語らず(はいぐんのしょうはへいをかたらず)
戦争に敗れた将軍はその戦いについてあれこれ言うべきでないし、兵法の理論などを説く資格もないという意味。失敗した者は沈黙すべきだというたとえ。「兵」は、「戦い」を意味する。
【故事】
「史記・准陰候」に「敗軍の将は以て勇を言うべからず。亡国の大夫は以て存を図るべからず(戦に負けた将軍は武勇について語る資格がない。滅んだ国の家老は国の存立を考えるべきではない)」とある。 戦いに敗れた者は、戦いの経緯や武勇について語る立場ではないという意味から、失敗した者が弁解がましく発言したりすべきではないという戒め。
背水の陣(はいすいのじん)
背後に川などがあると後退できないので、軍勢は必死に戦う。同じように一歩も退けない覚悟で全力を尽くして事に当たること。
【故事】
「史記」より。中国、漢の韓信が趙の軍と戦った際に、川を背にして陣取って大勝したという故事から。
白眼視(はくがんし)
人を冷やかに見つめること。白い眼で見ること。
【故事】
晋書より。中国、晋の阮籍が、気に入った人は青眼(黒眼)で迎え、気に入らない人は白眼で迎えたという故事による。
白眉(はくび)
多くの中で最も優れているもの。
【故事】
白い眉毛という意味。三国時代、蜀にいた馬氏の5人兄弟はいずれも優秀で、兄弟すべての字(あざな)に「常」という字があったことから「馬氏の五常」と言われていた。その中でも、眉毛に白い毛があった長兄の馬良は特に優れていたため、最も優れているものの例えとされている。【出典】蜀志[馬良伝]
破天荒(はてんこう)
未開の荒れ地を切り開くように、それまで誰もなし得なかったことをやりとげること。
【故事】
北夢瑣言。「天荒」は天地が分かれる前の混沌とした状態。中国の唐時代、官吏になるための試験に合格者を出したことのない、荊州(現在の湖北省)は天荒と呼ばれ、そこから合格者が出た時に天荒を破ったと言われたという故事による。
ひそみに倣う(ひそみにならう)
善し悪しも考えずに、やたらに人のまねをする。また、他人にならって物事をするのを謙遜していう言葉。
【故事】
「顰み」とは、眉間にしわを寄せること。 「荘子」「天運」より。美女の西施が、心臓の病のために苦しげに眉をひそめたのを醜女が見て、美しいと思い、自分もそのまねをしたが、それを見た人は気味悪がって門をとざしたことから。
髀肉の嘆(ひにくのたん)
功名を立てたり実力を発揮したりする機会のないことを嘆くこと。「髀肉」は股の肉。
【故事】
「三国志」蜀志より。蜀の劉備が志を得ず、寄寓の生活を送っていたころ、長く戦場に出ないため、股に肉が付きすぎ、功名も立てずに時間ばかりが過ぎていくのを嘆いたという故事から。
百聞は一見に如かず(ひゃくぶんはいっけんにしかず)
何度も聞くより、一度実際に自分の目で見るほうがまさる。
【故事】
中国の「漢書(かんじょ)趙充国伝(ちょうじゅうこくでん)」にある言葉が由来。
「百聞は一見に如かず。兵はるかに度(はか)り難し。臣願わくは馳せて金城(きんじょう)に至り、図して方略をたてまつらん。」
戦のことは遠く離れたところにいたのではわかりません。私が金城に駆け付けて状況を探り、図に書いて作戦計画を奏上いたしましょう。
とあることに基づく。
風林火山(ふうりんかざん)
時勢や情勢に合わせた対処の方法のこと。もとは軍を指揮するときの四つの心構えのこと。風のように速く行動して、林のように静かに機会を待ち、火のように激しく襲い掛かり、山のように動かずに構えるという意味。孫子の中の句を略した言葉で、武田信玄が旗印に使ったといわれている。
【故事】
日本の戦国武将・武田信玄の軍の旗印として有名な「風林火山」ですが、これは元々『孫子』の中に出てくる言葉です。『孫子』の軍争篇で孫子は、戦術の基本は敵をあざむくことだ、と言っています。そしてその行動は変幻自在のものでなければならない、と。風のように行動したかと思えば、林のようにシーンと静まり返り、燃え上がる火のように襲いかかったかと思えば、山のように微動だにしない。ここがいくさでの変幻自在を説いた「風林火山」の部分です。
覆水盆に返らず(ふくすいぼんにかえらず)
一度離縁してしまった夫婦の仲は元に戻らない事。また、一度してしまった失敗は取り返しがつかないという事。
【故事】
中国・後秦の王嘉による志怪小説集『拾遺記』 より、「周の太公望は、若い頃貧乏なのに働かず読書ばかりしていたので、妻は愛想を尽かし出て行った。後に太公望が出世して高位につくと、出て行った妻が復縁を求めてきたが、そのとき太公望は盆の水をこぼして「この水を元に戻せたら復縁に応じよう」と言った。」という記述から。
「覆水」とは、こぼれた水のことを表す。
刎頸の交わり(ふんけいのまじわり)
「刎頚」とは、首をはねることで、その友人のためなら首をはねられても悔いはないと思うほどの、親しい交わりの事。
きわめて親密な付き合いの事。
【故事】
中国前漢時代に歴史家・司馬遷によって編纂された中国の歴史書『史記』より。「春秋時代、趙の将軍・廉頗は、功績により自分より上位になった名臣・藺相如を恨んだ。しかし相如は二人が争いにより共倒れになることを懸念し、国のために争いを避けるつもりでいることを聞いた廉頗は、自分の考えを恥じ、深く反省した。そして廉頗は相如へ謝罪をし、二人は互いのために頸を刎ねられても悔いはないとする誓いを結んだ。」という記述から。
蛇を描きて足を添う(へびをえがきてあしをそう)
よけいなつけ足しのこと。また、なくてもよい無駄なもののこと。しなくてもいいこと。
【故事】
「戦国策・斉」より出典。中国の楚(そ)の国で、祠(ほこら)の司祭者が召使に大杯に盛った酒を振る舞った。しかし、召使たちはみんなで飲むには酒が足りないので、地面に蛇の絵を描き、早く描き上げた者が酒を飲もうと提案し、さっそく蛇の絵を描き始めた。
最初に蛇を描き終えた者が、酒を引き寄せながら、自分の早さを自慢するために、ついでに足まで描けるぞと描いているうちに、もう一人の者が蛇を描き終えて杯を奪い取った。「蛇に足はない。だから、酒を飲む権利は私にある。」そう言って、その酒を飲んでしまった。
洞が峠を決め込む(ほらがとうげをきめこむ)
自分にとって都合が良い方につこうとして、どちらつかずな態度で様子をみることのたとえ。
【故事】
「豊臣秀吉」と「明智光秀」が争ったとき、「筒井順慶」が京都と大阪の境にある「洞が峠」で陣を張り、どちらか戦況が有利な方に味方しようとしたという故事から出た言葉。