倦厭の読み方・意味とは?(類義語)
【二字熟語】
倦厭
【読み方】
けんえん
【意味】
あきていやになること。
何かをずっとやってると、時々飽きてくるもんやんな。そんな気持ちを一言で言うと「倦厭」ってことか。最初は楽しかったことでも、ずーっとやってると、だんだん「もうええわ」ってなるんやね。
【語源・由来】
「倦」は「うむ うんずる あぐむ あきてぐったりする。うむ。」
「厭」は「いとう。いやになる。」
【類義語】
食傷、倦怠、飽きる
倦厭(けんえん)の解説
「倦厭」という言葉はね、簡単に言うと、「あきていやになること」、つまり、何かをするのが飽きてしまって、もうやりたくないと感じることを表しているんだよ。
たとえば、「毎日同じことの繰り返しに倦厭している」というのはね、毎日毎日全く同じことをしていて、そのことに飽きてしまったり、もうやりたくないと感じていることを表しているんだよ。例えば、毎朝同じ時間に起きて、同じ朝ごはんを食べて、同じ道を通って学校に行く。それが最初は新鮮だったけど、だんだんと「またこれか」と思うようになって、今は「もうこの毎日続く同じことにはうんざりだ!」っていう気持ちを表しているんだよ。
また、「読む人妄誕に倦厭して」〈逍遥・小説神髄〉という文章は、誰かがたくさん本を読んで、その中に書かれているばかげたことや間違ったことにうんざりしている状況を表しているんだ。「妄誕」というのは、ばかげたことや意味のないことを意味しているよ。つまり、この文章では、たくさん本を読む人が、その中にある間違いやばかばかしい内容に飽きてしまって、もう読みたくないって感じているってことなんだ。
だから、「倦厭」という言葉は、何かが続いていて新しさがないとか、もうその状況や内容に飽きてしまって、イヤになってしまうという気持ちを表しているんだね。
倦厭(けんえん)の使い方
倦厭(けんえん)の例文
- 冗長な講義に倦厭する。
- 審査員として同じ課題曲を繰り返し聞き、倦厭と疲労を催した。
- 連載が長くなり、倦厭するファンが出てきた。
- テレビに倦厭する人はいてもラジオに倦厭する人はいない。
- インスタグラムに倦厭した人たちの受け皿になるSNSを開発しよう。
倦厭の文学作品などの用例
「倦厭」と「敬遠」の違いを解説
「倦厭」に似ている語に「敬遠」があります。
「敬遠」は
①うやまって近づかないこと。
②表面はうやまうような態度をして、実際は疎んじて親しくしないこと。また、意識して人や物事を避けること。(例:先輩を敬遠する。敬遠の四球。)
という意味です。
「倦厭」はあきること、「敬遠」は意識して避けることをいうので意味が違います。
「倦厭」の「いやになる」という意味と「敬遠」の「疎んじる」という意味から混同してしまっている人がいるようです。
それに対して、「敬遠」とは、敬意をはらっているように見せつつ、実際は近づかないようにすることを指すんだ。表面上はうやまっているけど、実は避けているんだよ。
それに対して、「敬遠」っていうのは、顔はニコニコして「おお、すごいすごい」とか言うとんねんけど、心の中では「ちょっとこいつ、距離置こうかな…」って考えとるんやな。表面上はいい顔してんけど、実はそんなに仲良くしたくないみたいな。なるほどなぁ、言葉って奥が深いわ~。