寡聞の読み方・意味とは?(類義語・対義語)
【二字熟語】
寡聞
【読み方】
かぶん
【意味】
見聞が狭く浅いこと。謙遜していうときの語。
人に対して謙遜して、自分がまだまだ知識が少ないって伝えるときのマナー言葉みたいなもんやな。
【語源・由来】
「寡」は「その上にのせる。足す。」
「聞」は「文字や絵をかくこと。」
【類義語】
疎い、不案内、不詳、管見、浅見
【対義語】
多聞、博識
寡聞(かぶん)の解説
「寡聞」という言葉は、自分の知識や経験が少ない、あるいは浅いことを示す言葉なんだよ。自分の経験や知識が他の人よりも足りないと感じたときや、自分の意見や知識を話す前に、謙遜するための表現としてよく使われるんだ。
たとえば、あるテーマについての議論や話題が出たとき、自分がそのテーマに詳しくない場合や、自分の意見を述べる前に「寡聞にもほどがあるのですが…」と前置きすることで、自分の意見や知識に自信がない、または他の人と異なる可能性があることを伝えることができる。
このような表現を使うことで、相手に対して過度に自己主張をしない、または自分の知識の限界を認める姿勢を示すことができるんだ。これは、相手を尊重する姿勢の一部として、また、自分と他人との関係を円滑にするためのコミュニケーション手段としての側面も持っているんだよ。
だから、「寡聞」は、自分が知らないことや経験していないことを認めるときや、謙虚になりたいときに使う言葉で、日本の文化やコミュニケーションの中で、相手に対して礼儀正しく、謙遜することの大切さを表しているんだね。
寡聞(かぶん)の使い方
寡聞(かぶん)の例文
- 寡聞にして、神様と会ったことがあるという人を知りません。
- 寡聞のため、この鳥の名前のみならず生態も知りません。
- 寡聞な私でも、新型インフルエンザに対する科学者の見地に首を傾げざるを得なかった。
- そんなものが存在するなど、寡聞にして聞いたことが無い。
- このような建造物を寡聞にしてまだ見たことが無い。
寡聞の文学作品などの用例
「寡聞にして存じません」とは?皮肉になる?
「寡聞」を用いた表現の一つに「寡聞にして存じません」があります。
「寡聞にして存じません」は、自己の見識の狭さを謙遜していう言葉です。
この 「寡聞にして存じません」は、謙遜の意だけでなく、皮肉としても使うことがあります。
「お化けを見たそうですが、お化けが実在するとは寡聞にして存じませんでした」というように、ありえないことに対して「寡聞にして存じません」と言うことで、容認しがたい言説に対する皮肉になります。
しかし、この言葉はただの謙遜だけでなく、時には皮肉として使われることもある。つまり、本当は知っているけれども、あえて知らないふりをすることで相手をからかうような意味でも使われるんだ。
そして、時々は「そんなの知らないって言われても困るわ~」って、ちょっとおちょくって使うこともあるんやろ?ほんで、その時のニュアンスとかで、どっちの意味で言ってるのかが変わってくるわけやな。うーん、日本語って奥深いな!
多くの場合、自分の知識や経験の少なさを謙遜して表現するときに使われるんだ。