究竟の読み方・意味とは?(類義語)
【二字熟語】
究竟
【読み方】
くきょう
【意味】
①仏教語で、究極。終極。畢竟。
②きわめてすぐれていること。至極。
③きわめて都合のよいこと。
仏教の話とかで「究極の真理」とか言うときの「究竟」やったり、何かが「めっちゃええ!」って感じやったり、何かが「これ以上ないくらい便利!」って場合にも使われるってことやな。ええ言葉やな、これは。
【語源・由来】
「究」は「きわめる。きわまる。つきつめる。きわみ。」
「竟」は「ついに。結局は。」
【類義語】
究極、至極、畢竟、終極
「究竟」の読み方は3つある?
「究竟」は「くきょう」「くっきょう」「きゅうきょう」と読むことができます。
広辞苑で「究竟」を調べると、
「くきょう」は、(「く」は呉音。「くっきょう」とも読む。)
①仏教語で、究極。終極。畢竟。
②きわめてすぐれていること。至極。
③きわめて都合のよいこと。
「くっきょう」は「くきょう」の促音化。
①物の究極に達したところ。つまるところ。結局。
②(「屈強」とも書く。きわめて力の強いこと、堅固。
③(「屈強」とも書く)きわめて都合のよいこと。
「きゅうきょう」は「くっきょう」に同じ。
と書いてあります。
それぞれ、「究極。きわめて都合のよいこと。」という意味は同じです。
しかし、「くっきょう」にとても力が強いことをいう意味があり、「屈強(くっきょう)」とも書く点が違います。
究竟(くきょう)の解説
「究竟」という言葉はね、いくつか違う意味があるんだよ。
まず、仏教で使われるときの「究竟」は、「究極」や「終極」という言葉で表されるんだ。これはね、仏教で言うところの「最も高いところ」や「最終的な目的地」という意味なんだよ。仏教では、悟りを開いたり、心の平和を得たりすることがすごく大切だから、「究竟」はその最高の状態を表しているんだね。
次に、「究竟」は「きわめてすぐれていること」も意味するんだ。これは、何かがとっても素晴らしい、最高の状態にあることを表しているんだよ。例えば、「主従三騎究竟の逸物どもにて」〈平治・中〉という古い文章では、主人とその従者たちが非常に優れた存在、つまり特別な人々だって言っているんだ。
最後に、「究竟」は「きわめて都合のよいこと」も意味しているよ。これは、何かがとても便利だったり、うまくいったりすることを表す言葉なんだ。例えば、「卒爾の用にも叶ひて究竟の事にてあるなり」〈後鳥羽院御口伝〉という文章では、何かがとても都合よく進んで、最高にうまくいったことを表しているんだよ。
だから、「究竟」という言葉は、仏教での最高の状態、物事がとても素晴らしい状態、そして何かが非常に都合よく進むこと、これら3つの意味を持っているんだね。
究竟(くきょう)の使い方
究竟(くきょう)の例文
- 究竟、内閣は総辞職に至った。
- 究竟の機会を逃してしまった。
- 学問も事業経営も、究竟の目的は人情だ。
- 申し分のない、決闘には究竟の場所だった。
- これは、究竟一の絵画だ。
究竟の文学作品などの用例
「究竟涅槃」とは?
「究竟」を用いた語に「究竟涅槃(くきょうねはん)」という語があります。
「究竟涅槃」は、「仏語。無上最勝である涅槃の境地。無上涅槃。大般(だいはつ)涅槃。」という意味です。
「究竟涅槃す」と読み、最上最高の涅槃のことをいいます。
「究竟」は、「物の究極に達したところ。つまるところ。」という意味。
「涅槃」は
(梵)nirvāṇaの音写。吹き消すことの意。仏語。
①煩悩 (ぼんのう) の火を消して、智慧 (ちえ) の完成した悟りの境地。一切の悩みや束縛から脱した、円満・安楽の境地。仏教で理想とする、仏の悟りを得た境地。
②釈迦 (しゃか) の死。
③「涅槃会 (ねはんえ) 」の略。
という意味です。
これは、人が悟りを開いて、苦しみや迷いから完全に解放される最上の境地を意味しているんだ。
まるで、心の中がすっきり晴れやかになるみたいなもんやな。ええな、それ。みんなもそこにたどり着けたらいいんやけどなぁ。
二つ目は、「とてもすぐれていること」。これは、何かがとても優れている、または最高であるという意味だね。三つ目は、「非常に都合がいいこと」を意味しているんだ。