ことわざ研究者(ことわざ学会代表理事)。エッセイスト。学習院大学非常勤講師として「ことわざの世界」を講義した(2005年から断続的に2017年3月まで)。用例や社会的背景を重視し、日本のことわざを実証的に研究する。
“噂をすれば…”の想像力
「最近、○○さん見かけないけど、どうしてるかな?」「そうだね、忙しすぎて体調をくずしたって聞いたけど、ちょっと心配だね」などと、知人の噂(うわさ)をしていると、たまたま当人がひょっこり姿をみせることがあります。
そんなとき、「噂をすれば影…だね」などとよく言います。おそらく、あなたもそんな場面に居合わせことがあるのではないでしょうか。
会話では、「噂をすれば影」だけで十分に通じますが、最後まできちんと言うと「噂をすれば影がさす」。「影がさす」は、ちらりと姿をあらわすということで、ちょっと古風だけれど味わいのある表現ですね。
当人にも話が聞こえそうだったら、当然、遠慮して「噂をすれば何とやら」と口をにごしたり、「噂をすれば…」でとどめたり、何も言わずに咳払いすることもあるでしょう。これは会話の自然なエチケットです。
いずれにせよ、ある人の噂話をしているときに、その当人があらわれるわけですから、誰でもちょっと驚き、なんだか少し不思議な気がします。
現代では、こうした場面での出会いは「偶然(ぐうぜん)」とか「たまたま」ととらえるのが普通でしょう。しかし、昔の人はことばに不思議な力があるせいと感じていました。他人のことを口にしたから、当人があらわれた、と半(なか)ば信じていたのです。
「半ば」というのは、噂をするたびに話題にした人がいつもあらわれるわけではないことは、昔の人でもわかっていたからです。「噂をすれば影がさす」と言い切る(断定する)のは、ことわざの好む表現法ですが、実際に100パーセントそうなるわけではありません。
にもかかわらず、ことわざは、そういう断定的な表現によって不思議な感じを強調し、あわせて、むやみに人のことをとやかく言うものではない、口はつつしまなくてはいけないことも暗に示しているようです。
ただし、ことわざは「人の口に戸はたてられない」ともいいます。相反する表現が共存するのは、ことわざの特徴の一つですが、「噂をすれば…」の場合、どのようにバランスをとっていたのか、時代をさかのぼって検討してみましょう。
このことわざが確認できる最も古い資料は16世紀末ごろの「北条氏直時分諺留」ということわざ集で、「うわさいえば主くる」とあります(わかりやすく現代の仮名づかいにし、一部漢字にしました)。 「主」は噂された当人ということですから、「噂をすれば影がさす」とほぼ同じ意味といってよいでしょう。
その後、関が原の戦いがあって、江戸時代の初期(17世紀)になると、俳句作りの参考書に挙げられたことわざのなかに、次のように似たような意味のものが出てきます。
「人ごと言えば筵(むしろ)しけ」 --人のことを言うと、その人がやってくるから、すわれるように筵をしけ、という意味。「筵しけ」は「目代(めしろ、見張り役)おけ」の誤りとする説もあります。
「そしれば影さす」--人のことを非難すると、その人がやってくる。
こうした例をみると、ことばには不思議な力があることは認めたうえで、噂話を強くとがめ禁止するというより、当人があらわれることがあるから注意し、用心するようにと助言しているようです。
さらに、江戸時代の後期(19世紀)になると、「呼ぶよりそしれ」という言い方もみられ、やはりことばの力を前提として認めながら、だったら、人を呼ぼうとするより悪口を言ったほうが早く来ると、発想を転換し、ユーモアをこめて表現しています。
昔の人(特にお年寄り)は、とかく説教じみたことばかり言うイメージがありますが、その想像力は意外に柔軟で、ユーモアや笑いも生活のなかに溶け込んでいたようです。
(2026/2/02)
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多くのことわざ資料集を監修し、『故事俗信ことわざ大辞典』第2版(小学館、2012)を編纂・監修した。後者を精選しエッセイを加え、読みやすくした『ことわざを知る辞典』(小学館、2018)も編んでいる。視野を世界にひろげ、西洋から入ってきた日本語のことわざの研究や、世界のことわざを比較研究した著書や論考も少なくない。近年は、研究を続けるほか、〈ミニマムで学ぶことわざ〉シリーズ(クレス出版)の監修や、子ども向けの本の執筆にも取り組んでいる。
主な編著書
『故事俗信ことわざ大辞典』第2版(小学館)、『ことわざを知る辞典』(小学館)、『世界のふしぎなことわざ図鑑』(KADOKAWA)、『ミニマムで学ぶ 英語のことわざ』(クレス出版)、『ことわざの謎 歴史に埋もれたルーツ』(光文社)、『世界ことわざ辞典』(東京堂出版)、『英語常用ことわざ辞典』(武田勝昭氏との共著、東京堂出版)など。
北村孝一公式ホームページ
ことわざ酒房(http://www.246.ne.jp/~kotowaza/)














