「大惑なる者は終身解らず」の意味(出典)
【ことわざ】
大惑なる者は終身解らず
たいわくなるものはしゅうしんさとらず
【意味】
迷いを自覚できない凡人は、生涯真理を知らないままで終わる。また、大きな疑問はなかなか解くことができない。
自己反省が大切やねんてことを教えてくれる言葉やな。
【出典】
「荘子」
「大惑なる者は終身解らず」の解説
「大惑なる者は終身解らず」っていうことわざは、自分がどこに迷っているのか分からない人は、生涯その迷いから抜け出すことができないっていう意味なんだよ。
これはちょっと難しいかもしれないから、具体的な例を出すね。たとえば、友達との関係で悩んでいるけど、その悩みが自分自身の態度にあることに気づかない人がいたとしよう。その人は自分がどこで間違っているのか分からないから、その悩みから抜け出すことができないんだよ。
このことわざは、昔の中国の哲学者が書いた『荘子』という本の「天地篇」っていう部分から来ているんだ。
だから、「大惑なる者は終身解らず」っていうことわざは、「自分が何に迷っているのか理解できない人は、その迷いから抜け出すことができない」っていう教えを伝えているんだよ。自分の問題に向き合って、何が間違っているのかを理解することが大切なんだね。
「大惑なる者は終身解らず」の使い方
「大惑なる者は終身解らず」の例文
- 立ち止まって自らを省みる時間も大切だよ。大惑なる者は終身解らずというしね。
- 僕が君を客観的に見れば何がだめなのかすぐに分かるけど、それを僕の口から君に言うより自分で気づいた方がいい。大惑なる者は終身解らずというから、自分で自分を客観視できるようになった方がいい。
- 大惑なる者は終身解らずというが、反省できない君には一生かかっても真理は分からないだろうな。
- 愚かな君の目では真実は見えないだろう。大惑なる者は終身解らずだ。
- 自らの迷いを知り、反省できるものだけが真理を得るんだ。大惑なる者は終身解らずといい、自分は天才って思い込んでいる君には真理は得られないよ。