「人の背中は見ゆれど我が背中は見えぬ」の意味
【ことわざ】
人の背中は見ゆれど我が背中は見えぬ
【読み方】
ひとのせなかはみゆれどわがせなかはみえぬ
【意味】
他人のことはよくわかるが、自分のことは気付きにくいものだということ。
あ、そういうことか。他人の悪いとこはパッと見つけられるけど、自分の悪いとこはなかなか分からへんってことやな。みんなよく「あの人はこうやなあ」とか言うけど、自分のことはそんなに言われへんもんなあ。
これって、自分のこともちゃんと見つめ直してみようって、そんな気をつけさせてくれる言葉やな。自分に甘く、他人に厳しくならへんように気をつけなあかんね。
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「人の背中は見ゆれど我が背中は見えぬ」の解説
カンタン!解説
「人の背中は見ゆれど我が背中は見えぬ」っていうことわざはね、他の人のことはよく見えて、その人のいいところや悪いところを指摘できるけど、自分自身のことはなかなかわかりにくいって意味なんだよ。
たとえばね、友達が宿題を忘れがちなのはすぐに気づけるけど、自分が同じように忘れがちだってことには、なかなか気づかないことがあるよね。他の人の行動は見えるけど、自分の背中は自分では見えないから、自分の行動や性格を客観的に見るのは難しいんだね。
このことわざは、自分の欠点や短所を認めることの大切さを教えてくれるんだ。他人の小さいミスを指摘する前に、自分自身をよく見つめ直してみることが大事だってことを言っているんだよ。自分について深く考えたり、他の人からの意見を聞くことで、自分自身をよりよく理解できるようになるんだね。
「人の背中は見ゆれど我が背中は見えぬ」の使い方
彼はよく居眠りしているわね。ちゃんと夜寝てないのかな?
そうかもしれないね。でも、ともこちゃんもたまに授業中に集中できてないことあるよ。友達として言うけど、自分もちょっと気をつけた方がいいかもしれないね。
え、本当? そういえば、人の背中は見ゆれど我が背中は見えぬっていうし、彼のことを心配する前に、自分のこともちゃんと見ないといけないね。
自分のことはなかなか見えないものだよねー。
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「人の背中は見ゆれど我が背中は見えぬ」の例文
- 彼女は友人の恋愛相談には的確なアドバイスができるが、自分の恋愛についてはどうすればいいのか見当もつかない。まさに人の背中は見ゆれど我が背中は見えぬ状態だ。
- 部下のミスはすぐに指摘できるが、自分のミスにはなかなか気づけない。この人の背中は見ゆれど我が背中は見えぬ感覚が、チームの成長を妨げているのかもしれない。
- 指導者として、生徒の成長点は明確に見えるけれど、自分自身の教育方法にどのような改善点があるかは見えにくい。人の背中は見ゆれど我が背中は見えぬ、自己反省の機会をもっと持つべきだ。
- アドバイスをするときはいつも自信があるけれど、自分自身の問題に直面すると答えが見つからない。これぞ人の背中は見ゆれど我が背中は見えぬ、自分自身を理解することの難しさを感じる。
- 友人の選択を評価することは簡単だけど、自分の将来に関する決断を下す時には迷いが生じる。自分に関しては人の背中は見ゆれど我が背中は見えぬ、もう少し内省的になる必要があるかもしれない。
自己認識の難しさや、他人への批判のしやすさを指摘しているわけだね。