「百聞は一見にしかず」ということわざ。聞いたことがあるよという人は多いと思います。けれども、この言葉に続きがあることはご存じでしょうか?
ここでは「百聞は一見にしかず」の意味とその続きを紹介します。
「百聞は一見にしかず」の意味
「百聞は一見にしかず」とは、人から何度も聞くより、一度実際に自分の目で見るほうが確かでありよく理解することができるという意味です。
さて、意味が分かったところで例文を紹介します。
「百聞は一見にしかず」の例文
というように使われます。
「百聞は一見にしかず」の類義語
「百聞は一見にしかず」には類義語がたくさんあります。
・聞いた千遍より見た一遍
・聞いた百より見た五十
・聞いた百より見た一つ
・耳聞は目見に如かず
・鯛も鮃も食うた者が知る
等々です。いずれもとにかく一度見てごらんよ。見ないと始まらない。見ないことには本質を知ることはできないよという意味です。
「百聞は一見にしかず」の由来
「百聞は一見にしかず」は、『漢書』の「趙充国伝」にある言葉です。
古代中国漢の時代に趙充国という武将がいました。
趙充国が七十を過ぎたころ、羌族が反乱を起こしました。皇帝は趙充国が七十を過ぎていることを老齢であるとして、御史大夫の丙吉を趙充国のもとに遣わして、誰が将軍に適任か問わせました。
趙充国が「私を超えるものはおりません。」と答えると、皇帝は再び人を遣わして「羌の軍勢はどれ位の規模なのか。わが軍は、どれだけの兵力が必要なのだろうか。」と尋ねました。
趙充国は、「百聞は一見にしかずです。兵は遠く離れていて予測がつきません。急ぎ金城にはせ参じ、そこから方略を献上したいと思います。羌は天に逆らい滅亡も遠くありません。私にお任せください。」と言い、皇帝はこれを笑って承諾しました。
この逸話がもとになって「百聞は一見にしかず」という言葉が生まれました。
後世に「百聞は一見にしかず」に付け加えられた続き
そろそろ本題に入ります。
「百聞は一見にしかず」に後世の人の手によって加えられた続きがあります。それが、
百聞は一見にしかず
百見は一考にしかず
百考は一行にしかず
百行は一果にしかず
百果は一幸にしかず
百幸は一皇にしかず
といったものです。
たくさん聞くより、一回見たほうがいい
たくさん見るより、一回考えたほうがいい
たくさん考えるより、一回行動したほうがいい
たくさん行動するより、一回成果を出したほうがいい
たくさん成果をあげるより、一回幸福を得たほうがいい
たくさん幸福を得るより、一回周囲のみんなの幸せを考えたほうがいい
つまり、見て考えて行動して結果を出し、幸せになって、さらに周りの幸せも考えようよということです。
「百聞は一見に如かず」とは、自分ひとりの幸せを望むのではなく、自分の周りの人の幸せを考えるべきだという教訓を込めた深い言葉だったんです。
まとめ
図鑑で花を見ていても、それは暗記しただけで本物の知識とは言えません。
その花を実際に見て、触って、どのような構造をしているのか、どんなにおいなのか、好奇心をもって考えて観察することで自分の本当の知識となります。
ここまでが、
「百聞は一見に如かず
百見は一考に如かず
百考は一行に如かず」
です。普段の生活で感じること度々あると思います。
花を観察していたら、この花を食べる動物がいることが分かった。しかもその動物は肝臓が弱っているようだ。もしかしたらこの花は、肝臓の病気に効くのかもしれない。ということに気が付き、花を研究し、薬を完成させる。
これが
「百行は一果に如かず」
です。成果をあげるために必要なのがあきらめない心と努力し続ける心です。この二つを兼ね備えた人がここまで到達することができます。
そして、一番大事な
「百果は一幸に如かず
百幸は一皇に如かず」
成果を上げて自分はお金持ちになり幸せだ。もう何も言うことはない。・・・それでいいのでしょうか?
人は一人で生きていくことはできません。お金は大事ですが、お金がすべてではありません。
自分の周りの人が笑顔でいてくれると、自分もうれしくなりませんか?
あなたが周りの人の幸せを願うことで、手を差し伸べることで、その人たちが幸せになり、努力し成果をあげ、またさらにその人たちの周りの人が幸せになります。
こうやって幸せのリレーをしていくことができたら、きっと素敵な世の中になりますよね。
「百聞は一見に如かず」、本当に奥深い言葉ですよね。