「山門から喧嘩見る」の意味(類義語)
【ことわざ】
山門から喧嘩見る
【読み方】
さんもんからけんかみる
【意味】
安全な場所から騒ぎを興味本位で見ること。
「山門」は、寺が山中に建てられたことから寺の門の意。
うーん、喧嘩は見てても楽しいもんじゃないけど、安全な場所から見ることで、冷静に事態を分析することもできるかもしれんな。
ただ、余計なお世話や、他人の問題に首を突っ込むのは注意が必要やね!
【類義語】
・高みの見物
・高みで見物
・対岸の火事
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「山門から喧嘩見る」の解説
カンタン!解説
「山門から喧嘩見る」っていう言葉は、自分は安全な場所にいるのに、遠くで起きている他人のトラブルやケンカをただ楽しむように見てるってことを表してるんだよ。
「山門」っていうのはね、山の中にある寺の入り口のことを言うんだ。考えてみると、山の中の寺の門から外を見ていたら、自分はとっても安全だよね。だから、この言葉は、自分は危険から離れているのに、他人の困っている様子をただ見て楽しんでいるような態度を批判しているんだ。
「山門から喧嘩見る」の使い方
となりのクラスは抜き打ち検査か。大変だな。
山門から喧嘩見るというやつね。でも、次はこのクラスよ。
それ本当?ゲーム機を隠さないとまずい。
学校に不必要なものは持ってこなければ慌てなくて済むのに。
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「山門から喧嘩見る」の例文
- トラブルが発生したようだが、我関せずと山門から喧嘩見る。
- 山門から喧嘩見るのはとても愉快だ。それがライバルならなおさらだ。
- 政府は庶民が苦しもうが、山門から喧嘩見て何もしない。
- 山門から喧嘩見ると悠長に構えていたが、こっちに飛び火しそうである。
- 高みの見物を決め込んでいたら、「山門から喧嘩見てないで何とかしなさいよ」とともこちゃんに叱られた。
この言葉は、第三者の立場で問題を客観的に観察することのできる特権や、興味本位で他人の騒動に首を突っ込むことの危険性について警戒する意味合いも持っているよ。