目次
「百里奚は、虞に居りて虞は亡びしに、秦に在りて秦は覇たり」の意味(出典・故事)
【ことわざ】
百里奚は、虞に居りて虞は亡びしに、秦に在りて秦は覇たり
【読み方】
ひゃくりけいは、ぐにおりてぐはほろびしに、しんにありてしんははたり
【意味】
どんな賢人でもその人の才能を生かさなければ価値はないということ。
人の能力ってのは、どんなにすごくても、それをちゃんと理解して活かす人がおらんと、ただの持ち腐れやねんて。才能ある人を見つけたら、その人がピカピカ光るように支えることが大事やってことやな。
【出典】
「史記」
【故事】
虞に仕えていた百里奚は、虞の滅亡後、楚に捕らえられていた。やがて百里奚の賢を聞いていた穆公に救われ用いられ宰相となった。百里奚はこれにこたえ、秦はそれから七年で天下の覇者となった。
「百里奚は、虞に居りて虞は亡びしに、秦に在りて秦は覇たり」の解説
「百里奚は、虞に居りて虞は亡びしに、秦に在りて秦は覇たり」という話は、どんなに才能がある人も、その才能をきちんと生かしてくれる場所や環境にいなければ、その価値を発揮することはできないという教訓が込められているんだよ。百里奚という人物は、中国春秋時代の非常に賢い政治家だったけれど、虞という国ではその才能を生かすことができず、結果として国は滅んでしまったんだ。
しかし、その後、秦の穆公によって才能を認められ、秦で重用された結果、秦は強大な国へと成長していった。これは、正しい場所で正しく才能が評価され、活かされたからこそ起こり得たことなんだね。
たとえば、学校でいろいろな才能を持った友達がいるとするよ。その才能がきちんと認められて、伸ばされることができれば、その友達はもっと素晴らしいことを成し遂げることができるだろうね。でも、その才能を生かす機会がなければ、その素晴らしさは隠れたままかもしれない。
この話からは、才能を持つ人々に適した環境を提供すること、そして自分自身の才能を理解し、それを最大限に生かすために適した場所を見つけることの重要性を学ぶことができるんだ。そして、人々の才能を正しく評価し、適切に活用することが、個人だけでなく、集団や国全体をも発展させる鍵であるということも教えてくれているんだよ。
「百里奚は、虞に居りて虞は亡びしに、秦に在りて秦は覇たり」の使い方
「百里奚は、虞に居りて虞は亡びしに、秦に在りて秦は覇たり」の例文
- このプロジェクトが失敗したのは、リーダーがメンバーの才能を生かしきれなかったからだ。まさに、百里奚は、虞に居りて虞は亡びしに、秦に在りて秦は覇たりの教訓を思い出させる。
- 若きエンジニアが他社へ移籍し、そこで革新的な技術を開発した話は、百里奚は、虞に居りて虞は亡びしに、秦に在りて秦は覇たりという言葉を体現している。
- 彼女は小さなスタートアップで見過ごされていたが、大企業に引き抜かれて大きな成功を収めた。その経験は、百里奚は、虞に居りて虞は亡びしに、秦に在りて秦は覇たりという古言を思い起こさせる。
- 教師は生徒の可能性を見出し、その才能を育てることで、かつての失敗した学生が学年首席になった。百里奚は、虞に居りて虞は亡びしに、秦に在りて秦は覇たりのように、適切な環境と指導があれば、誰もが輝ける。
- 彼の研究は長年認められなかったが、異分野の学者がその価値を理解し、彼を自分のチームに招いた。それから研究は世界を変える発見へとつながった。これこそ、百里奚は、虞に居りて虞は亡びしに、秦に在りて秦は覇たりということわざが示す、適材適所の重要性の例証だ。
どんなに賢い人材であっても、その人の才能を正しく認識して活かさなければ、その価値は全くの無駄になってしまうという教訓が込められているんだね。