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“月とすっぽん” のコントラスト 北村孝一【著】

専門家コラム
この記事を書いた人
北村孝一(きたむら よしかつ)先生
北村孝一ことわざ研究者(ことわざ学会代表理事)。エッセイスト。学習院大学非常勤講師として「ことわざの世界」を講義した(2005年から断続的に2017年3月まで)。用例や社会的背景を重視し、日本のことわざを実証的に研究する。

 

“月とすっぽん” のコントラスト

月とすっぽん月と鼈

「月とすっぽん」--たいていの人が知っていて、耳にしたことがあり、時には使ったこともあることわざでしょう。初めて聞いたときから、印象にのこりやすい表現です。「お月さまとすっぽん」とも言いますね。

ことわざの意味は、二つのもの〔あるいは人〕について、あまりに隔たりが大きく、比べものにならないということです。また、二つのもの〔多くは人や家など〕の取り合わせが釣り合いがとれないということにもなります。

月は天にあって、夜空に美しい姿で輝き、清らかな光をはなちます。もう一方のすっぽんは、池や川などの泥の中をはいずりまわり、食らいついたら放さないものとされています。両者の視覚的イメージにはまさに天地の差があり、音声としても「ツキ」は格調高く感じられるのに対し、「スッポン」は俗っぽく、滑稽(こっけい)に響くこともあります。

月とすっぽんの取り合わせは、しいて言えば、まるいという点で、いくらか共通性がないわけではありませんが(関西では、すっぽんのことを「まる」と呼んでいました)、イメージにあまりに大きな隔たりがあり、極端なコントラストをなしています。

用例を少しみてみましょう。高峰秀子は、子役として人気を博し、やがて大人の役を演じ半世紀にわたって活躍した昭和の大女優ですが、かつて七本の映画で共演した入江たか子について、次のように回想しています。

「…東坊城(ひがしぼうじょう)子爵のお姫(ひい)さまであった入江たか子は、その容姿、品格、人柄と三拍子そろった類まれな大型美人であった。片やおっとりと育ちのよいお姫さま、片やイジイジと育ちの悪いやくざ娘、なにからなにまで月とスッポンほど違うのに、なぜか二人は気が合って、私の東宝時代は入江たか子ベッタリ、〈略〉彼女もまた優しい姉のように私をいつくしんでくれた。」(高峰秀子『私の渡世日記』)

高峰秀子は、入江たか子を「月」にたとえて最大限の敬意をあらわし、自らは「スッポンほど違う」と謙虚(けんきょ)に卑下(ひげ)しています。この本を書いた頃、高峰は多くの名作映画で主演した大女優でしたが、すこしも驕(おご)ることなく、好感が持てるスタンスです。このことわざを引いて自分のことをいう場合に、学ぶべき心構えといえるでしょう。逆に、自分のことを月になぞらえたら、どんなに立派な人でも鼻持ちならない人になってしまいますね。

もう一つ、このことわざをめぐる作家のエピソードを紹介しておきましょう。夏目漱石といえば誰もが認める文豪ですが、まだ漱石と名乗っていない若い頃の話です。
「あの女(ひと)なら大変な美人で、君なんかとは月と鼈(スッポン)ほどの違いで、不つりあいも甚(はなはだ)しいじゃないか」と知人にいわれた漱石は、「そんなこと言うんなら絶対にもらわない」と縁談を断わったというのです(夏目鏡子『漱石の思い出』)。

鏡子夫人が「一説には」と断わった上での話なので、真偽のほどは不明ですが、評判の美女を「月」にたとえるのはよいとして、面と向かって「スッポンのほどの違い」と言われた漱石は、さすがに冷静ではいられなかったのかもしれません。ことわざは、日常のことば以上の威力を発揮することがあります。軽い気持ちで口にした表現でも、言われた側は、心穏やかではいられない場合があることは記憶にとどめておいてよいでしょう。

外国の類例をみると、「天と地の違いだ」(中国)や「昼と夜だ」(フランス)など、もっともではあるけれど、やや抽象的で、具体的なイメージが浮かびにくいものが目につきます。これに対し、日本の「月とすっぽん」は、イメージが具体的でわかりやすく、コントラストが鮮明で、視覚だけでなく五感に直接うったえるものがあるのではないでしょうか。(2025/9/30)

©2025 Yoshikatsu KITAMURA

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北村孝一(きたむら よしかつ)先生

多くのことわざ資料集を監修し、『故事俗信ことわざ大辞典』第2版(小学館、2012)を編纂・監修した。後者を精選しエッセイを加え、読みやすくした『ことわざを知る辞典』(小学館、2018)も編んでいる。視野を世界にひろげ、西洋から入ってきた日本語のことわざの研究や、世界のことわざを比較研究した著書や論考も少なくない。近年は、研究を続けるほか、〈ミニマムで学ぶことわざ〉シリーズ(クレス出版)の監修や、子ども向けの本の執筆にも取り組んでいる。

主な編著書
『故事俗信ことわざ大辞典』第2版(小学館)、『ことわざを知る辞典』(小学館)、『世界のふしぎなことわざ図鑑』(KADOKAWA)、『ミニマムで学ぶ 英語のことわざ』(クレス出版)、『ことわざの謎 歴史に埋もれたルーツ』(光文社)、『世界ことわざ辞典』(東京堂出版)、『英語常用ことわざ辞典』(武田勝昭氏との共著、東京堂出版)など。
北村孝一公式ホームページ
ことわざ酒房(http://www.246.ne.jp/~kotowaza/





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