ことわざ研究者(ことわざ学会代表理事)。エッセイスト。学習院大学非常勤講師として「ことわざの世界」を講義した(2005年から断続的に2017年3月まで)。用例や社会的背景を重視し、日本のことわざを実証的に研究する。
「暑さ寒さも彼岸まで」の背景
「彼岸」とは、春分の日(3月21日ころ)と秋分の日(9月23日ころ)を中日(ちゅうにち)として、その前後のそれぞれ3日間を含む1週間をさします。
暑い夏が長くつづき、残暑がきびしい年だと思っていても、9月の下旬、秋のお彼岸の頃になると、さすがに涼しくなり、天気のよい日でも暑いとは感じなくなってきます。
また、今年の冬は寒く、いつまでも寒いのはかなわないと思っていても、3月の下旬、春のお彼岸の頃になると、日ごとに暖かくなり、曇っていても寒い感じはしなくなるものです。
おだやかで心地よい気候といってよいでしょう。「暑さ寒さも彼岸まで」ということわざは、このあたりの季節感を簡潔かつ的確にとらえています。
文献のうえでは、いまのところ江戸時代後期(18世紀末)
全斎は、
少しくだけた言い方で、「暑い寒いも彼岸まで」とも言います。
ことわざや俗語は庶民のものなので、当時の知識人からは蔑(
この二つの本は、
「暑さ寒さも彼岸まで」の背景として、「彼岸」
つまり、
しかし、仏教とともに伝来した行事なら、
そのため仏教の伝来より古いもので、「彼岸」は「
話が少しむずかしくなりましたが、
ところで、春のお彼岸のころの気温と秋のお彼岸のころの気温は、なんとなく同じぐらいと思ってしまいますが、調べてみると、だいぶ差があります。
春の3月21日~25日の平均気温は、東京で10.3度、大阪で10.8度。秋の9月21日~25日の平均気温は、東京で21.7度、大阪で23.8度(『理科年表』2024年版による)。
つまり、秋のお彼岸の気温は、春のお彼岸より11~13度高いということになります。かなりの温度差ですね。
日射時間や角度は同じでも、海や大地、そして大気が温まったり冷えたりするには、それだけ時間がかかるということでしょう。
それなのに、なぜ「暑さ寒さも彼岸まで」というのでしょうか? ことわざがまちがっているのでしょうか。
客観的な数値として、秋のお彼岸のほうが春より11~13度高いことはたしかですが、ことわざがまちがっているわけではありません。
ことわざは短いことばで結論だけ言うので少しわかりにくいけれど、ことわざが言わんとするのは体感温度のことです。
人の体感温度は春と秋で異なり、冬の寒さになれた身体は春の暖かさに敏感になり、夏の暑さにくたびれた身体は秋の涼しさや冷たさを感じやすくなるのです。
人間を尺度(基準)にすることよって、ことわざのほうが単なる気温よりも実感をよく表しているといえるでしょう。
「お彼岸」というと、仏教から縁遠くなった現代人は、つい春分の日や秋分の日だけを思い浮かべますが、気候は一日を境にがらっと変わるものではありません。
ことわざが「彼岸」として7日間の幅をもたせているのは、日常生活に必要な柔軟なものの捉え方といえるのではないでしょうか。
©2024 Yoshikatsu KITAMURA
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多くのことわざ資料集を監修し、『故事俗信ことわざ大辞典』第2版(小学館、2012)を編纂・監修した。後者を精選しエッセイを加え、読みやすくした『ことわざを知る辞典』(小学館、2018)も編んでいる。視野を世界にひろげ、西洋から入ってきた日本語のことわざの研究や、世界のことわざを比較研究した著書や論考も少なくない。近年は、研究を続けるほか、〈ミニマムで学ぶことわざ〉シリーズ(クレス出版)の監修や、子ども向けの本の執筆にも取り組んでいる。
主な編著書
『故事俗信ことわざ大辞典』第2版(小学館)、『ことわざを知る辞典』(小学館)、『世界のふしぎなことわざ図鑑』(KADOKAWA)、『ミニマムで学ぶ 英語のことわざ』(クレス出版)、『ことわざの謎 歴史に埋もれたルーツ』(光文社)、『世界ことわざ辞典』(東京堂出版)、『英語常用ことわざ辞典』(武田勝昭氏との共著、東京堂出版)など。
北村孝一公式ホームページ
ことわざ酒房(http://www.246.ne.jp/~kotowaza/)