「頂礼昂じて尼になる」の意味
【ことわざ】
頂礼昂じて尼になる
【読み方】
ちょうらいこうじてあまになる
【意味】
信仰にはまりすぎて、尼にならないと気が済まなくなること。
「頂礼」は、頭を相手の足につけて拝む作法。仏や尊者に対する最高の敬意を表す礼。
「寵愛昂じて尼になす」をもじったことばといわれる。
「頂礼昂じて尼になる」という表現は、信仰心がとても深いあまり、結局は僧侶としての道を選ぶことを意味しているんだよ。
ああ、つまり、「信仰が深すぎて、最終的には仏門に入ってしまう」ってことか。
それだけ信心深くて、自分の信仰のためなら何でもするっていう態度を表してるんやな。これは、過度の熱中がどういう結果を招くかを示す言葉やな。
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「頂礼昂じて尼になる」の解説
カンタン!解説
「頂礼昂じて尼になる」っていうことわざはね、すごく信心深くて、結局はそれが高じて尼(おんなのお坊さん)になっちゃうっていう意味なんだよ。
つまりね、自分が何かにすごく夢中になったり、一生懸命になりすぎて、それがとうとう全てを捧げるほどになっちゃうっていうことを表しているんだ。
例えば、友達が漫画が大好きで、毎日漫画を読んで、結局は漫画家になっちゃった、っていうのも同じようなことだね。これは、自分が好きなことや信じることにとことん打ち込むことが、自分の人生を大きく変えることにつながる、ということを教えてくれる言葉なんだよ。
でもね、一つだけ注意点があって、これは尼になることが悪いことだと言っているわけじゃないんだよ。大事なのは、自分が何を選択し、どう生きるかを自分で決めること、そしてそれに全力で取り組むことだよ。
「頂礼昂じて尼になる」の使い方
母さんが、宗教にはまってしまったんだ。
頂礼昂じて尼になるというように、尼にならないと良いんだけど。
それが、頂礼昂じて尼になったんだ。家は母さん不在で大変なことになっているよ。
お母さんに続いて財産も奪われないように気をつけないとね。
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「頂礼昂じて尼になる」の例文
- 神仏を信仰するのは良いことだけど、頂礼昂じて尼になるようなことは避けたい。
- 頂礼昂じて尼になるのは悪いことじゃないけど、仕事も家庭も捨ててのめり込むのは正しい信仰のあり方だろうか。
- 不景気になると神に依存する人が増え、頂礼昂じて尼になる人が急増する。
- 頂礼昂じて尼になるなんて、信心が篤すぎるのも考えものだ。
- 入信したとは聞いていたが、まさか髪を剃り尼になるとは。将来はアイドルになりたいと語っていたともこちゃんが、頂礼昂じて尼になる。