“猿も木から落ちる”と子どもたちの笑顔
(猿も木から落ちる)
「猿も木から落ちる」は、幼い子に人気のあることわざです。ちょっと耳にしただけで子どもたちは顔をほころばせ、目をかがやかせます。なぜ、そんな表情をみせるのでしょうか。
ここで幼い子というのは、4~5歳から小学校2年生ぐらい。個人差もありますが、これくらいの年齢の子は、まだことわざになじみがなく、どういうものか、よくわかっていないことも多いのですが、ことばに対する関心は十分にあり、大人がなにげなく口にすることわざにも耳をかたむけています。
子どもたちは動物が好きで、犬やネコなどのペットだけでなく、サル、クマといった野生の獣(けだもの)まで、童話やアニメを通じて一種のキャラクターとしても親しんでいます。そのなかでもサルは、人間によく似て、手先も器用で、立って歩くこともでき、木登りがじょうずで、いたずら好きの“おサルさん”として親しまれています。
木の上で思いのままにすばしっこく動きまわる猿の姿は、すぐ目に浮かび、それが「落ちる」と聞くと思わず笑いたくなる下地があるわけですが、目をかがやかせて何を期待しているのでしょうか。
会話のなかで、「猿も木から落ちる」が使われる場面を思い浮かべてください。サルはまったく話題になっていなかったのに、とつぜん出てきて、しかもその“おサルさん”が木から落ちるというので、子どもたちはとまどいながらも、何か滑稽(こっけい)なものを感じて笑みをうかべ、その先に未知の何かがあると直感的に期待しているのです。
会話の文脈から、どうやら誰かが失敗したときに使われることを感じとって、想像力を働かせる子どもも出てきます。ことわざが使われる場面にいあわせることによって、ことわざには文字どおりの意味だけでなく、ひろく応用のきく比喩(たとえ)の世界があることに気づき、自分のものにしていく一歩を踏み出すといってもよいでしょう。
これは、他の動物が出てくることわざ--たとえば、「猫に小判」や「ブタに真珠」、「馬の耳に念仏」など--でも、基本的に同じことですが、「小判」や「真珠」、「念仏」は幼児にはむずかしく、大人の説明が必要になります。その点で、もっともハードルが低いのが「猿も木から落ちる」です。
ことわざの意味は、どんな名人やじょうずな人にも失敗やあやまちがあるということで、使い方は、人のあやまりをむやみにきびしくとがめるのではなく、ユーモアをこめて指摘し、だれにでもミスはあるよ、とやさしい気持ちで接するのが基本です。
ことわざの辞典の多くは、類義(意味がほぼ同じ)の表現として「弘法にも筆の誤り」や「上手の手から水がもる」、「かっぱの川流れ」などを挙げ、どれを使ってもよいわけではなく、相手によって適切なものを選ばなければならない、としています。目上の人、たとえば先生の誤りについて「猿も木から落ちる」と言うのは不適切ということになります。
もっともなアドバイスですが、目上の人には「弘法にも筆の誤り」あるいは「上手の手から水がもる」を使いさえすればよいのか、というと、そう単純ではありません。あまり目上を意識してかたくなると、不自然なことばづがいになって、ことわざのユーモアが失われたり、へりくだったのが裏目に出て、逆に皮肉にひびくおそれもあります。
そんなときに、ことわざのユーモアを生かし、相手を傷つけることもない言い方はないでしょうか。だいじょうぶ、「猿も木から落ちる、弘法にも筆の誤り」とことわざを二つ続ける方法があります。古くからある言い方で、二つのことわざの順序は逆にしてもかまいません。その後に「○○さん〔先生〕も××することがあるんだね」とフォローしてもいいですね。
(2025/5/11)
©2025 Yoshikatsu KITAMURA
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多くのことわざ資料集を監修し、『故事俗信ことわざ大辞典』第2版(小学館、2012)を編纂・監修した。後者を精選しエッセイを加え、読みやすくした『ことわざを知る辞典』(小学館、2018)も編んでいる。視野を世界にひろげ、西洋から入ってきた日本語のことわざの研究や、世界のことわざを比較研究した著書や論考も少なくない。近年は、研究を続けるほか、〈ミニマムで学ぶことわざ〉シリーズ(クレス出版)の監修や、子ども向けの本の執筆にも取り組んでいる。
主な編著書
『故事俗信ことわざ大辞典』第2版(小学館)、『ことわざを知る辞典』(小学館)、『世界のふしぎなことわざ図鑑』(KADOKAWA)、『ミニマムで学ぶ 英語のことわざ』(クレス出版)、『ことわざの謎 歴史に埋もれたルーツ』(光文社)、『世界ことわざ辞典』(東京堂出版)、『英語常用ことわざ辞典』(武田勝昭氏との共著、東京堂出版)など。
北村孝一公式ホームページ
ことわざ酒房(http://www.246.ne.jp/~kotowaza/)