「冬瓜の花の百一つ」の意味(語源由来)
【ことわざ】
冬瓜の花の百一つ
「冬瓜の花の百一」「冬瓜の花で百一つ」ともいう。
【読み方】
とうがのはなのひゃくひとつ
【意味】
数ばかり多く、役立つものが少ないこと。数多くあるが、本物はほとんどないこと。
「冬瓜」は、とうがん。つる性の野菜。
あー、それってつまり、たくさんの花が咲いても、実際に実を結ぶのはほんの少しやってことやな。
見た目の多さに惑わされず、中身をちゃんと見ることの大切さを教えてくれる言葉やね。見かけに騙されんと、本物を見極める目を持つことが大事ってことか。
【語源由来】
冬瓜の花はむだな花が多く、実を結ぶのはごくわずかであることから。
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「冬瓜の花の百一つ」の解説
カンタン!解説
「冬瓜の花の百一つ」っていう言葉は、たくさんの中から役に立つものや本物が少ないって意味なんだよ。
例えばね、おもちゃの中で一番楽しいのは1つや2つしかないけど、おもちゃの数自体はたくさんある、っていう感じ。または、クラスにはたくさんの友達がいるけど、本当に信頼できる友達は数人だけ、っていうこと。
冬瓜っていう野菜は、たくさん花を咲かせるんだけど、その中で実際に実になるのはほんの少ししかないんだ。だから、この言葉はそのことからきているんだよ。つまり、たくさんあっても、本当に価値のあるものは少ないっていう意味だね。
「冬瓜の花の百一つ」の使い方
スーパーにはたくさんの商品があるのに、冬瓜の花の百一つだな。
欲しいものがないわね。
ヴィーガンに優しくない世の中だね。
もっとヴィーガン商品が増えるといいわね。
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「冬瓜の花の百一つ」の例文
- この市場に宝石はたくさんあれど、冬瓜の花の百一つで本物が少ないから見極める目が必要だ。
- 我が家には物があふれているが、冬瓜の花の百一つのように、役立つものはあまりない。
- 新聞には情報が多く掲載されているが、冬瓜の花の百一つだ。
- 高性能なスマホは、使いこなせない人間には冬瓜の花の百一つのごとく役に立たない機能ばかりだ。結局、電話ができて、公共交通機関情報が見れればいいんだ。
- この図書室の司書のセンスが悪くて、冬瓜の花の百一つというように役立つ本がない。
冬瓜の特性として、たくさん花が咲くけれども、その花から実を結ぶのはほんの一部だから、その事象を元にこのことわざが生まれたんだ。