『三略』は、中国の古代兵法書で、「武経七書」の一つとして知られています。この書は上略、中略、下略の3部構成となっており、その名前の由来となっています。
伝承では、周の太公望が著述し、神仙の黄石公が選録したものとされています。一説には、黄石公が土橋の上で漢の張良にこの書を授けたとも言われています。
しかしながら、『三略』の中には殷や周の時代には存在しないはずの騎馬戦の言及や、「将軍」という語彙の使用などの矛盾点が見られるため、後世の人物が太公望や黄石公の名を借りて作成した偽書である可能性が指摘されています。
『三略』は老荘思想を基調とし、治国平天下の大道から戦略や政略の原則について述べています。名言として「智を使い、勇を使い、貪を使い、愚を使う」という言葉があり、これは指導者がどのような者であっても上手く利用する能力が求められることを示しています。
また、日本における『三略』のエピソードとして、戦国武将の北条早雲が、『三略』の一節「夫れ主将の法は、務めて英雄の心を攬り、有功を賞禄し、志を衆に通ず」と聞き、それだけで十分だと学者の講義を中止させたという伝承があります。
日本へは、遣唐使の上毛野真備によって初めて伝わりました。『三略』は、同じ太公望の著述とされる『六韜』と並び称されることが多く、「六韜三略」とも言われます。