「彼岸が来れば団子を思う」の意味(語源由来)
【ことわざ】
彼岸が来れば団子を思う
【読み方】
ひがんがくればだんごをおもう
【意味】
大事なことを忘れて気楽なことばかり考えること、のんきな人をひやかしていう。
あ、それはちょっと考えさせられるな。大事なことの本質を忘れて、目の前の楽しいことだけに気を取られちゃうっていうのは、人間の習性かもしれんな。確かに団子は美味しいけど、彼岸の期間にはもっと大切な意味があるんやもんな。
日常生活でも、本当に大事なことを見失わないようにしないとあかんね。目先の楽しみに気を取られすぎず、大切なことの本質をしっかりと考える、そんなバランスが大事やな。
【語源由来】
彼岸が来ると先祖の供養より、彼岸の団子のことを考える意から。
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「彼岸が来れば団子を思う」の解説
カンタン!解説
「彼岸が来れば団子を思う」という言葉は、本来の大切な目的を忘れて、そこから派生した副次的な楽しみや快楽にのみ意識が向いてしまう状態を表しているね。彼岸とは、春分の日と秋分の日を中心に前後三日間ずつの一週間を指し、この期間には先祖の供養を行うのが日本の伝統的な習慣だよ。しかし、「彼岸が来れば団子を思う」では、その供養よりも彼岸に食べる団子のことばかり考えてしまうという意味で使われているんだ。
この表現は、人が本来注ぐべき重要なことから気がそれて、目先の楽しいことや自分にとって快適なことだけを考えがちになる人間の性(さが)を風刺しているんだ。たとえば、勉強や仕事などの本来の目的を忘れて、遊びや娯楽に夢中になってしまう様子などにも使える表現だね。
このように、「彼岸が来れば団子を思う」は、私たちに対して、本来大切にすべきことに目を向け、副次的なことに惑わされないように心がけることの重要性を教えてくれる言葉なんだ。
「彼岸が来れば団子を思う」の使い方
今週はもう彼岸入りだね。お墓参りの準備はもうした?
何もしてないよ。彼岸が来れば団子を思うって言うでしょう?僕の頭の中は、団子のことでいっぱいなんだ。
確かに団子はおいしいわよね。でも、団子を楽しみながらお墓参りの準備も忘れずにね。
そうだね。おいしい団子が食べられるのはご先祖様のお陰ですって感謝しないとね。
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「彼岸が来れば団子を思う」の例文
- 彼岸が来れば団子を思うように、締め切りが迫った仕事のことより晩御飯のことを考えてしまう。
- プロジェクトの期限が迫っているにもかかわらず、彼は彼岸が来れば団子を思う状態で違うことに夢中になっている。
- 師が走る忙しい師走でも、彼岸が来れば団子を思うように話題のスイーツリストを作成している。
- 彼岸が来れば団子を思うみたいに、会議中も彼は上の空で旅行のことを考えていた。
- 大事な試験前なのに、彼岸が来れば団子を思うようにゲームに熱中している。
彼岸は仏教の行事で、先祖を供養する期間なのに、その重要な意味を忘れてしまい、ただ団子を食べることだけを楽しみにする様子を批判的に言っているんだ。