「日西山に薄る」の意味(出典・語源由来)
【ことわざ】
日西山に薄る
【読み方】
ひせいざんにせまる
【意味】
年老いて、死期が迫っていることのたとえ。
太陽が沈むように、人の人生にも終わりが来るって、なんや切ないけど、自然の摂理やね。この表現は、人生の大切な時期をしっかりと受け止める大事さを教えてくれる言葉やな。
【出典】
李密-陳情表
幼くして両親を失った自分を引き取ってくれた祖母の病状を述べた言葉。
【語源由来】
太陽が西の山に今にも沈もうとしているということから。
「日西山に薄る」の解説
「日西山に薄る」っていう表現は、太陽が西の山に沈む様子から来ているんだよ。これは、人の一生を一日にたとえていて、太陽が西に傾くことで、その日の終わりが近づいているように、人の人生も終盤に差し掛かっていることを意味しているんだ。
つまりね、この言葉は、年を取って、自分の生きる時間が少なくなってきたこと、もしくは人生の終わりが近づいていることを表しているんだよ。でもね、これは悲しいことだけを意味するわけじゃないんだ。太陽が沈む時って、すごく美しい夕焼けを見ることができるじゃない? だから、この表現には、人生の終わりに向かっても、その人生が美しく、価値のあるものであったことを象徴している面もあるんだね。
たとえば、おじいちゃんやおばあちゃんが、「私の人生もそろそろ夕方だね」と言うことがあるかもしれない。これは自分の人生が長くて充実していたことを振り返りつつ、残りの時間を大切にしようという思いが込められているんだよ。だから、「日西山に薄る」という言葉は、人生の終わりに近づいているけれども、それが持つ深い意味や美しさを感じさせてくれるんだね。
「日西山に薄る」の使い方
「日西山に薄る」の例文
- 年老いた彼の声はかつての力強さを失い、まるで日西山に薄るような穏やかさだった。
- 家族は病状を隠しているが、日西山に薄る時が近づいていることを自覚している。
- 急に断捨離を始めたが、日西山に薄る心境にあるのかもしれない。
- その老作家は自身の日西山に薄るを悟り、最後の大作に取り組んでいる。
- 会うたびに衰えていく様子を見ると、友人にも日西山に薄る時が迫っているのだと感じる。
つまり、人生の終わり、つまり死期が近づいていることを表している言葉なんだ。