「至知は幾ならず」の意味(出典・類義語)
【ことわざ】
至知は幾ならず
【読み方】
しちはきならず
【意味】
至高の知恵は目立たないもののことをいい、機知が目につくうちは大したことはない。
で、そんなに目立つようやったら、それはまだ本物やないってことやな。おおきなことをおおきなことに見せずにこなせる、そんな風になりたいもんやな。
【出典】
「呂氏春秋」
【類義語】
・至智は智を棄て、至仁は仁を忘れ、至徳は徳ならず
「至知は幾ならず」の解説
「至知は幾ならずは」っていう言葉はね、本当にすごい知恵を持っている人っていうのは、自分から目立たないようにしているものだよ、という意味なんだ。いつもすぐに物事を理解したり、賢いことを言ったりする人がいるけれど、その人が目立ちすぎていると、それはまだ本当の知恵ではないんだよ。
「幾」っていうのは、物事をすばやく理解したり、賢く行動することを意味しているんだ。「至知」は本当にすごい知恵のこと。だから、「至知は幾ならずは」っていう言葉は、「本当に賢い人は、目立ちすぎないようにしている」という教えを含んでいるんだよ。
例えばね、クラスにいつもテストでいい点を取る子がいたとして、その子がいつも自慢したり、自分がどれだけ賢いかをアピールすることばかり考えていると、他の人からはあまり良く思われないよね。でも、本当に賢い子っていうのは、そんなことをしないで、控えめにしているものなんだ。そういう子の方が、本当にすごい知恵を持っているんだよ。それが「至知は幾ならずは」っていう言葉の意味なんだね。
「至知は幾ならず」の使い方
「至知は幾ならず」の例文
- 能ある鷹は爪を隠すというし、至知は幾ならずだ。本当にすごい人はひけらかすことはしない。
- 目立ちたがり屋はすごくない。至知は幾ならずで地味な人ほどすごい。
- 至知は幾ならずというが、彼は目立たないが実はすごい。
- 自分の賢さを誇示するようでは器が小さい。至知は幾ならずといい、大人物ほど誇示しない。
- 至知は幾ならずだから、生き字引のような偉大な人は見つけにくい。
機転が利いたり、何かを巧妙に処理することが目立ってしまうようであれば、それはまだ本当の知恵ではないという意味なんだよ。