「庭訓三月四書大学」の意味(語源由来)
【ことわざ】
庭訓三月四書大学
【読み方】
ていきんさんがつししょだいがく
【意味】
学問にすぐに飽きて長続きしないこと。
「庭訓」は、「庭訓往来」。室町時代にできた一年各月の書簡文例集。寺小屋などの教材に使われた。「四書」は、「大学」「中庸」「論語」「孟子」の総称。
うんうん、まるで三月もたない家庭教育、四冊も読まずに大学を出てしまうみたいな感じやな。
人が何かを始める時の熱意がどれだけ長続きするかって、案外難しいもんやね。このことわざを胸に刻んで、何事もコツコツと継続する力を身につけたいな!
【語源由来】
「庭訓往来」は三月ぐらいのところで、四書は最初の「大学」であきて読むのをやめる意から。
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「庭訓三月四書大学」の解説
カンタン!解説
この「庭訓三月四書大学」っていう言葉は、何かを始めたけど、すぐに飽きちゃって、続けられないことを表しているんだよ。
昔、日本では「庭訓往来」という教科書があって、それを三月くらいまでしか勉強しない人がいたんだ。それから、「四書」という4つの大切な本があって、その中でも最初の「大学」という本で飽きちゃって、読むのをやめる人もいたんだよ。
だから、この言葉は、何かを始めてもすぐに飽きちゃう人、最後までがんばらない人のことを指しているんだ。
例えばね、新しい趣味を始めたけど、すぐに飽きちゃってやめてしまったり、勉強を始めたけど途中でやめちゃったりするようなことだね。
この言葉を聞いて、何事も最後までがんばってやり遂げる大切さを思い出そうね!最初は楽しいけど、途中で難しくなることもあるけど、最後までがんばれば、きっと素晴らしいことが待っているよ!
「庭訓三月四書大学」の使い方
健太くん。英語塾をやめたの?
あきちゃったんだよ。英語を覚えなくても、高性能翻訳機があるしね。
庭訓三月四書大学ね。もう少し粘ってみたらどう?
僕に合う勉強が見つかったら粘り強くがんばるよ。
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「庭訓三月四書大学」の例文
- 庭訓三月四書大学な人でも、この勉強法なら決して途中で投げ出すことはありません。
- 先生の教え方が上手なので、庭訓三月四書大学で飽き性の人でも学び続けることができる。
- 健太くんは庭訓三月四書大学だから、やりかけの参考書がたくさん本棚にある。
- 庭訓三月四書大学で成績が低空飛行を続けていたが、ともこちゃんに恋してから、彼女に認めてもらうために彼は変わった。
- 仲の良い友人が中学受験をするということで、庭訓三月四書大学だった健太くんも受験する決意をし、今のところあきらめる気配はない。
これは、勉学を始めたり新しいことに挑戦する際に、初心の意気込みだけで終わってしまうことを警告する表現だね。