「極楽の入り口で念仏を売る」の意味(語源由来・類義語)
【ことわざ】
極楽の入り口で念仏を売る
【読み方】
ごくらくのいりぐちでねんぶつをうる
【意味】
専門家に不必要なことを教えること。
「極楽」は、極楽浄土。
【語源・由来】
極楽往生のために念仏を唱えている人に、極楽のそばで念仏を売っても買う人はいないということから。
「極楽の入り口で念仏を売る」ということわざは、既にその分野や事柄に詳しい人に、そのことを教える無駄な行為を指す表現なんだ。
なるほど。それは、つまり、もう知ってることを教えられるってことやな。
例えば、プロの野球選手にボールの投げ方を教えるようなもんか。知ってることを知ってる人に教えるのは、無駄なことやね。ちゃんと相手が何を知ってるかを確認した方がええわな。
【類義語】
・釈迦に説法
・聖人の門前で孝経を売る
・林中に薪を送り湖上に魚を鬻ぐ
・河童に水練
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「極楽の入り口で念仏を売る」の解説
カンタン!解説
「極楽の入り口で念仏を売る」っていう言葉は、もう知っていることや得意なことを、そのことをすごくよく知っている人に教えようとすることを表してるんだよ。
例えばね、サッカーのプロの選手に「ボールは足で蹴るんだよ」とか、有名なシェフに「これは包丁だよ」と教えるような感じ。そんなこと、その人はもう知ってるし、得意なことなのに、教えようとするのはちょっと変だよね。そんなことを表す言葉なんだよ。
「極楽の入り口で念仏を売る」の使い方
陸上選手に速く走る方法を教えても極楽の入り口で念仏を売るだよね。
河童に水練ね。知ってるよって言われるわね。
画面越しに走る姿を見ていると「そうじゃない。なんでわからないんだ。フォームが…」って叫んじゃうよね。
疲れてフォームが崩れていることも、ペース配分のミスも選手が一番よく分かっていると思うわ。
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「極楽の入り口で念仏を売る」の例文
- 結婚相談所の職員にお見合い相手を紹介するのは、極楽の入り口で念仏を売るようなものだ。
- 法の番人である裁判官に法律を語るのは、極楽の入り口で念仏を売るのと同じです。
- 極楽の入り口で念仏を売るのは、釈迦に説法で余計なお世話だ。
- 酪農を営む人に牛の生態を教えるのは、極楽の入り口で念仏を売るようなもので、彼らは日頃の経験から知っている。
- 極楽の入り口で念仏を売ることになったとしても、政治家に税金とは何か、税金の有効な使い方とは何か教えて聞かせたい。