「衆草と伍す」の意味(出典)
【ことわざ】
衆草と伍す
【読み方】
しゅうそうとごす
【意味】
賢い人が凡人と交流を持つこと。
「衆草」は、多くの草。雑草。「伍す」は、仲間になる。交わる。
「衆草と伍す」という表現は、賢人や君子が一般の人々と同じレベルで交わっている状況をたとえている言葉だよ。
おお、そんなたとえがあるんやね。要するに、「ええ人が普通の人々と一緒にいるけど、その中でもその人の良さが光る」ってことやな。
雑草の中にいても、その賢さや品格が際立つってわけかいな。結局は、どんな環境にいても自分の質を落とさないってことが大事なんやね。
【出典】
「琴操」
孔子がどこの国にも仕官できず故郷の魯に帰る途中、谷間の雑草に交じって蘭が芳香を漂わせて咲いているのを見て作った「猗蘭操」から。
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「衆草と伍す」の解説
カンタン!解説
「衆草と伍す」ということわざは、普通の人々と一緒にいる賢い人や立派な人を表している言葉だよ。たくさんの普通の草の中にいるように、特別な人が普通の人たちと同じように行動している状況を例えているんだね。
これは、たとえば学校で成績がとても良くて先生からも尊敬されている子が、クラスの他のみんなと同じように遊んだり、話したりしている姿を指すことができるよ。その子は特別な才能や能力を持っているけれど、他のみんなと変わらずに仲良くしているんだ。
このことわざは、どんなに特別な才能がある人でも、他の人々と共に生活することの重要性を教えてくれるんだ。自分が特別だと思っても、他の人たちと一緒にいることで、さまざまなことを学んだり、豊かな人間関係を築いたりすることができるんだよ。
「衆草と伍す」の使い方
私立の学校って、レベルの高い子ばかりで衆草と伍すことはできないね。
そうね。その点公立は衆草と伍すから社会勉強になるわね。
だから政治家は富裕層とばかり交わっているのか。
政治家は有名私立校出身が多いもんね。
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「衆草と伍す」の例文
- 衆草と伍すのは、賢人にとっても凡人にとっても有意義な時間となる。
- 賢人とばかり話していると考えが凝り固まってくるので、衆草と伍すことを心がける。
- 凡人とも関わりを持ち、衆草と伍す機会をもうけ、いろんな立場や考え方があることを知る。
- 凡人と話しても無駄だと思わない。衆草と伍すことで見えてくる世界もある。
- 陛下は自ら国民に話しかけ衆草と伍す。