「西施江を愛し嫫母鏡を棄つ」の意味(出典・語源由来)
【ことわざ】
西施江を愛し嫫母鏡を棄つ
【読み方】
せいしえをあいしぼぼかがみをすつ
【意味】
人は自分の長所は得意がり、短所は目を閉じ見ないようにするものだということ。
つまり、自分の得意なところは誇りに思うけど、短所には目をつぶるってことやな。
【出典】
「梅園叢書」
【語源・由来】
美しい人は、その姿を映せる水辺を好み、醜女は顔を見るのが嫌で鏡を投げ捨てることから。
「西施江を愛し嫫母鏡を棄つ」の解説
「西施江を愛し嫫母鏡を棄つ」という表現は、人々が自分の長所を得意に思い、短所には目を閉じがちであるという人間の性質を表しているんだ。このことわざに出てくる「西施」と「嫫母」は、中国の伝説の中の二人の女性を指していて、それぞれ美しさと醜さの象徴とされているんだよ。
西施は春秋時代の越の国に実在したとされる絶世の美女で、その美しさは非常に有名だったんだ。一方で、嫫母(もうぼ)は古代中国の伝説に登場する醜女で、黄帝の妃とされているんだ。
このことわざは、美しい西施が川の水面を見て自分の美しさを楽しむ一方、醜い嫫母が鏡を見るのを避けるという話から来ているんだ。つまり、人は自分の良い面を喜んで受け入れ、悪い面には目を向けない傾向があるということを表しているんだね。
たとえば、自分の成功や才能には満足して誇りに思うけれど、自分の失敗や欠点には注意を払わないような状況をこのことわざで表すんだ。この表現は、人間の自己愛や自己評価の偏りを指摘していて、自分自身をもっと客観的に見ることの重要性を教えてくれているんだよ。
「西施江を愛し嫫母鏡を棄つ」の使い方
「西施江を愛し嫫母鏡を棄つ」の例文
- 完璧な人などいないのだから、西施江を愛し嫫母鏡を棄つではなく自分の欠点と向き合う。
- 西施江を愛し嫫母鏡を棄つというが、健太くんは自分の欠点から目をそらし、欠点はないんだと言い張る。
- 世の中、西施江を愛し嫫母鏡を棄つ人が多く、自分の欠点を真正面から見ることができる人は少ない。
- 彼は、まさに西施江を愛し嫫母鏡を棄つような人間で、欠点は棚に上げて長所の自慢ばかりする。
- 往々にして人は西施江を愛し嫫母鏡を棄つというように、短所を直視できないものだ。