「血となり肉となる」の意味(語源由来)
【ことわざ】
血となり肉となる
【読み方】
ちとなりにくとなる
【意味】
学んだ知識や経験などが十分に身について、将来の活動に役に立つようになる。
勉強をしたり、経験を積んだりするときは、それがしっかりと自分の中に落ち着いて、後々活きるようにしとかなアカンってことやな。ちゃんと吸収しとかないと、知識も経験もエネルギーに変わらへんもんな。
【語源由来】
栄養がよく吸収され、身になることから。
「血となり肉となる」の解説
「血となり肉となる」っていうことわざは、学んだことや経験がすっかり自分のものになり、これからの行動に大いに役立つようになる、という意味だよ。
たとえばね、君が数学のテストで難しい問題を解くことができたとしよう。それは、君が先生から教わったこと、そして自分でたくさん勉強したことが、すっかり自分の頭の中に入り込んで、新しい「力」に変わったからだよ。それがまさに、「血となり肉となる」ってことなんだ。
このことわざは、本当に食べ物が体の中で消化されて、栄養分として吸収され、自分の体の一部になることからきているんだよ。だから、「血となり肉となる」は、学んだことや経験が自分の一部になり、生活の中で活用できるようになることを言っているんだね。
「血となり肉となる」の使い方
「血となり肉となる」の例文
- 野球部の練習はきついが、きっと血となり肉となる。
- 苦しい経験は、血となり肉となるから若い時の辛労は買うてもせよ。
- 血となり肉となるから、いろんな経験を積んだ方がいい。
- 平和な日本で、ぬるま湯につかったような生活も楽でいいが、海外に出て大変な目にあうのも血となり肉となるから、人生にとってはプラスだ。
- ここで得たことは、血となり肉となるだろう。そしていつか長い人生のどこかで生かされる。
「血となり肉となる」の文学作品などの用例
科学者が自分の体験によって獲得した深い知識を、かみ砕きかみ締め、味わい尽くしてほんとうにその人の血となり肉となったものを、なんの飾りもなく最も平易な順序に最も平凡な言葉で記述すれば、それでこそ、読者は、むつかしいことをやさしく、ある程度までは正しく理解すると同時に無限の興趣と示唆とを受けるであろうと思われる。(寺田寅彦の科学と文学より)