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「智は目の如し、百歩の外を見て睫を見る能わず」の意味(語源由来・出典・類義語)
【ことわざ】
智は目の如し、百歩の外を見て睫を見る能わず
【読み方】
ちはめのごとし、ひゃっぽのそとをみてまつげをみるあたわず
【意味】
人の知恵は目のようで、他人のことは判断することができるが、自分自身のことをよく知るのは難しいということ。
つまり、「他人の失敗はすぐ指摘できるけど、自分のミスには気づかないことが多い」ってわけや。自分のこともちゃんと見つめ直さなあかんってことを、この言葉は教えてくれてるんやな。
【語源由来】
人の目は遠くを見ることはできても、身近なまつ毛を見ることができないようなものだという意から。
【出典】
「韓非子」
【類義語】
・近くて見えぬは睫
・目は毫毛を見るもその睫を見ず
「智は目の如し、百歩の外を見て睫を見る能わず」の解説
「智は目の如し、百歩の外を見て睫を見る能わず」っていうことわざはね、他人のことは詳しく見て分析できるけど、自分自身のことをちゃんと見て理解するのはなかなか難しいんだよっていう意味だよ。
たとえば、友達が何か間違えた時、その間違いを見つけてアドバイスできるけど、自分が同じ間違いをしているときはなかなか気づけないことってあるよね。
人の目って遠くを見ることはできるけど、自分のまつげは見ることができないよね。それと同じように、自分のことは見えにくいんだよ。
このことわざは、「自分自身の行動や思考もちゃんと見つめ直すことが大切」って教えてくれているんだよ。だから、「智は目の如し、百歩の外を見て睫を見る能わず」って言うときは、他人だけじゃなくて、自分自身も見つめ直して、自分のことを理解しようとする心が大切だってことを伝えているんだよ。
「智は目の如し、百歩の外を見て睫を見る能わず」の使い方
「智は目の如し、百歩の外を見て睫を見る能わず」の例文
- 他人の批判をする人がいるが、智は目の如し、百歩の外を見て睫を見る能わずで自分のことは見えていないことが多い。
- 他人の分析は簡単にできるが、智は目の如し、百歩の外を見て睫を見る能わずというように自己分析は難しい。
- 彼は自分のことは棚に上げて人を責めるが、智は目の如し、百歩の外を見て睫を見る能わずだ。自分に甘く人に厳しい。
- 智は目の如し、百歩の外を見て睫を見る能わずというように、人のことは予測できるが、自分の将来を予測するのは難しい。
- 多くの社員を見てきたから、一瞥するだけでどんな人間か分かるが、智は目の如し、百歩の外を見て睫を見る能わずというように、自分のことはいまだによく分からない。