【故事成語】
和氏の璧
【読み方】
かしのたま
【意味】
古代中国にあったと伝わる名高い宝玉。また、めったに手に入らない、非常に価値のあるもののたとえ。


【英語】
・a priceless treasure.(値段を付けられないほど貴重な宝物)
【類義語】
・連城の璧(れんじょうのたま)
「和氏の璧」の故事
「璧」は、古代中国で用いられた、平たい輪の形をした玉器です。中央に丸い穴があり、身分を示す品や祭りの道具、のちには装飾品としても用いられました。
「和氏」は、この宝玉を見いだした卞和(べんか)という人物を指します。「和氏の璧」のもとになった話は、『韓非子(かんぴし)』の「和氏」篇に出てきます。
『韓非子』は、中国の戦国時代末期に活躍した思想家・韓非に帰される論文集です。国の治め方や法律の働きを論じる書物で、その中には、人や物の真価を見抜けない為政者への戒めとして、卞和の物語が記されています。
古代中国の楚(そ)に住んでいた卞和は、楚山で玉を含んだ原石を見つけました。卞和は、それが貴重な宝玉であると信じ、楚の厲王(れいおう)に献上しました。
しかし、厲王が玉を見分ける職人に調べさせると、職人は、ただの石だと答えました。王は、卞和が自分を欺いたと思い、罰として卞和の左足を切らせました。
厲王が亡くなり、武王(ぶおう)が即位すると、卞和は同じ原石を再び献上しました。ところが、今度も職人は石だと判断し、卞和は右足まで切られてしまいました。
やがて武王も亡くなり、文王(ぶんおう)が王位に就きました。卞和は原石を抱いて楚山のふもとに座り、三日三晩泣き続け、涙が尽きると血まで流したといいます。
文王が理由を尋ねると、卞和は、両足を失ったことを悲しんでいるのではないと答えました。宝玉が石と呼ばれ、誠実な人がうそつきと呼ばれることこそ悲しいのだ、と訴えたのです。
文王は職人に命じて、その原石を切り開かせました。すると、中から見事な宝玉が現れたため、文王は卞和の正しさを認め、その宝玉を「和氏之璧」と名づけました。
この物語では、石の中に隠れていた宝玉の価値と、卞和の誠実さの両方が見誤られています。そのため、「和氏の璧」は、単なる高価な宝物だけでなく、外見や世間の評価に隠された真の価値を表す言葉にもなりました。
和氏の璧は、のちに『史記(しき)』(前91年ごろ完成・前漢、司馬遷著)にも登場します。廉頗(れんぱ)と藺相如(りんしょうじょ)を扱う列伝には、趙(ちょう)の恵文王がこの璧を手に入れ、秦(しん)の昭王が十五の城との交換を申し出たと記されています。
使者となった藺相如は、昭王に城を渡す意思がないと見抜き、機転を利かせて璧を取り戻しました。そして、従者に璧を持たせ、ひそかに趙へ送り返しました。この出来事から、十五もの城に値する宝を意味する「連城の璧」や、璧を完全なまま持ち帰ることを意味する「完璧」に関わる物語が生まれました。
日本では、『翁問答(おきなもんどう)』(1640年ごろ成立・江戸時代前期、中江藤樹著、1650年刊)に、「卞和が璧」という形が出てきます。そこでは、比類のない大切な教えでありながら、世の人にその価値を理解されないもののたとえとして用いられています。
こうして「和氏の璧」は、古代の名玉を指す名から、他のものでは代えられない貴重なものや、まだ正しく評価されていない優れた価値を表す故事成語として定着しました。卞和が二度の不幸にも屈せず、宝玉の真価を訴え続けた物語が、現在の意味の土台となっています。
「和氏の璧」の使い方




「和氏の璧」の例文
- 祖父が守り続けてきた初版本は、郷土史の研究者にとって和氏の璧に等しい。
- 失われたと思われていた楽譜の原本は、音楽史家にとって和氏の璧であった。
- 長年探していた古地図を手に入れ、収集家は和氏の璧を得たように喜んだ。
- その職人の優れた技術は、会社にとって和氏の璧ともいうべき財産だ。
- 町に一冊だけ残る記録帳は、地域の歴史を伝える和氏の璧として保管されている。
- 価値を知られず蔵に眠っていた茶碗が、鑑定によって和氏の璧と認められた。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・小川環樹・西田太一郎・赤塚忠・阿辻哲次・釜谷武志・木津祐子編『角川新字源 改訂新版』KADOKAWA、2017年。
・韓非『韓非子』戦国時代末期。
・司馬遷『史記』前91年ごろ。
・中江藤樹『翁問答』1640年ごろ成立、1650年刊。























