「大道廃れて仁義あり」の意味(語源由来・英語訳)
【ことわざ】
大道廃れて仁義あり
【読み方】
だいどうすたれてじんぎあり
【意味】
世の中の秩序が乱れてたことによって、本来ならば説く必要のない「仁(じん)」や「義(ぎ)」について説く必要が生まれたということ。
なんか、道徳が必要になるってことは、それだけ世の中が大変になってきたってことやね。
【語源・由来】
「大道(だいどう)」とは、人が行うべき正しい道という意味。
昔は大道が行われていたから仁義など必要でなかった。
しかし後世には、その大道が廃れてしまったから、仁や義などの根本の道徳が必要とされるようになった。
という、儒教の仁義説を非難した老子の言葉が由来となっている。
「老子(ろうし)」には、この後に
「智慧出でて大偽有り。六親和せずして孝子有り。国家昏乱して忠臣有り」
人が知恵を持つようになってから、偽りの社会ができた。兄弟、子孫、妻と不和になってから、孝行する子供が現れた。国が乱れてから、忠臣が現れた。
とあるとされる。
【英語訳】
Since people’s way was in disorder, humanity and justice have arisen.
「大道廃れて仁義あり」の解説
「大道廃れて仁義あり」という表現は、「老子」の一八章に由来し、大きな自然の道(大道)が失われたり、人々の生活から離れたりすると、仁義などの人為的な道徳や倫理が必要とされるようになるという意味のことわざなんだ。
この言葉は、もともと人間社会が単純で、人々が自然の法則に従って生活していた時代には、仁義といった人工的な道徳や倫理は必要とされなかったことを示しているんだ。人々が自然と調和して生きていたため、人為的な道徳やルールを作る必要がなかったんだね。しかし、文明が進化し、社会が複雑になるにつれて、人々の生活から自然の法則が遠ざかり、人々の行動が自然から乖離していった。その結果、人間関係を調整し、秩序を保つために仁義などの道徳や倫理が必要になってきたんだ。
「大道廃れて仁義あり」は、本来自然で単純な人間社会が、複雑化するにつれて人為的な道徳やルールを必要とするようになったという歴史的な変遷を表しているんだ。それは、人間の行為や社会の秩序を保つために、仁義のような道徳がいかに重要になったか、そしてそれがどのようにして必要とされるようになったかということを示しているんだね。このたとえ話は、社会や文明の発展に伴う道徳的な価値や原則の変化に対する洞察を提供しているんだ。
「大道廃れて仁義あり」の使い方
「大道廃れて仁義あり」の例文
- 大道廃れて仁義ありというように、まずは道徳心について学ぶことはとても大切だと思う。
- すっかり秩序が乱れてしまっている今の世の中には、道徳心が必要だね。大道廃れて仁義ありだ。
- 彼は老子に影響を受けたようで、大道廃れて仁義ありと話していたよ。
まとめ
いつの時代にも、秩序が保たれることを望まれていたのではないでしょうか。
その為には、大道廃れて仁義ありというように、まずは道徳心について説くことが必要とされたのかもしれませんね。
しかし、その自然の道、すなわち「大道」が失われ、世の中が乱れると、人々は道徳としての「仁義」を守るべきだと唱えるようになったんだ。