「五十にして四十九年の非を知る」の意味(語源由来・出典・類義語)
【ことわざ】
五十にして四十九年の非を知る
【読み方】
ごじゅうにしてしじゅうくねんのひをしる
【意味】
人生は後悔だらけということ。
「五十にして四十九年の非を知る」ということわざは、人生の晩年になって初めて、これまでの過ちや後悔することを認識する、という意味だよ。
ええっ、それは、長い間生きてきたけど、その大半がミスや悔いの連続やったってことやな。
歳をとって、ようやく自分の失敗や後悔を気づくって、ちょっと寂しいけど、そんな人生もあるんやな。大事なのは、気づいたらどう直していくかやろうな。
【語源・由来】
五十歳になって今までの四十九年間の生活を振り返ると、間違いだらけであったと気付くという意から。
【出典】
「淮南子」
【類義語】
・五十年暮らして四十九年の非を知る
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「五十にして四十九年の非を知る」の解説
カンタン!解説
「五十にして四十九年の非を知る」っていう言葉はね、50歳になった時に、今までの人生を思い返して、「あれ、私、本当にたくさん失敗してきたな」とか「あの時はこうすればよかったのに」と後悔することに気づく、っていう意味なんだよ。
たとえばね、人は長い人生でたくさんの経験をするよね。でも、50歳になってみると、その大半の経験が、実は自分の失敗や後悔だったことに気づくことがあるんだ。このことわざはそんな感じのことを言っているんだよ。
ちなみに、この言葉は道教や儒教の考え方に基づいているから、みんなが知っているわけじゃないかもしれないけど、要するに、人は年を取ると、自分の過去の失敗や後悔に気づくことが多くなるっていうことを教えてくれているんだね。
「五十にして四十九年の非を知る」の使い方
父さんが五十にして四十九年の非を知るって嘆いているよ。
そうなりたくないわね。
後悔しないように全力で遊ぶしかないね。
勉強もしないと後悔するわよ。
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「五十にして四十九年の非を知る」の例文
- 五十にして四十九年の非を知るというから、常に過去を振り返り向上心を持って生きることが大事だ。
- 死ぬ間際に五十にして四十九年の非を知るのは悲しい。悔いのない生き方をしたい。
- 回顧した時に五十にして四十九年の非を知るのは悔しい。日々後悔のないよう楽しく過ごしたい。
- この結婚が幸せかどうかは今は分からない。五十にして四十九年の非を知るか、笑って幸せだったといえるか、死ぬ瞬間にその答えが出る。
- 余命を楽しめばいいのに、父は五十にして四十九年の非を知り苦悩していた。