「後生は徳の余り」の意味(類義語)
【ことわざ】
後生は徳の余り
【読み方】
ごしょうはとくのあまり
【意味】
この世で徳を積めば、来世の極楽往生も得られる。また、来世の安楽を願うのも、生活に余裕があればこそということ。
「後生」は、仏教で死後生まれ変わる世界。
あー、つまり、いいことばっかりやってれば、後の人生もいいことが起こるってことやね。それと、人が日常の生活で困ってないときこそ、もっと高いところを目指せるんやな。
安定した生活の上で、さらに高みを目指すのが大切やってことを、この言葉が教えてくれてるんやね!
【類義語】
・信心は徳の余り
・後生願いも富の余り
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「後生は徳の余り」の解説
カンタン!解説
「後生は徳の余り」という言葉は、良いことをたくさんやれば、自然といい未来が待っているよ、っていう意味だよ。
例えばね、学校で友達に親切にしたり、家で手伝いをたくさんしたりすると、自然と周りの人たちから「いい子だね」と言われるのと似てるんだ。この言葉では、生きている間にたくさんの良い行動や行い(これを「徳行」と言うんだよ)を積むと、極楽というすごく良い場所に行ける、っていうことを教えているんだ。
そして、もう一つの意味として、極楽の世界を願っているのも、今の生活に余裕や幸せがあるからこそ、っていうことを言ってるんだよ。つまり、心に余裕があるときにしか、良いことや信じることができない、ってこと。
だから、この言葉は「良いことをたくさんやれば、良い結果が待っている」と教えてくれるものなんだね。
「後生は徳の余り」の使い方
あー。またポイ捨てしてる。
だって邪魔なんだもん。
捨てられたら人も邪魔よ。後生は徳の余りというから、来世のためにも徳を積んだ方が良いわよ。
ポイ捨てしていたら来世も地獄行きかな。
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「後生は徳の余り」の例文
- 物価高騰で生活がかつかつだ。後生は徳の余りというが、今を生きるので精いっぱいで来世のことなど考えられない。
- 来世の心配は後生は徳の余りといって、富裕層がやることだ。
- 一日一善を心がけ、後生は徳の余りとなるようにする。
- せっせと善行を重ねて、後生は徳の余りというように来世の分まで極楽行き切符を手にする。
- お金がなくて生きるか死ぬかの瀬戸際の人間は、絶望のどん底で来世の安楽まで願えない。後生は徳の余りというが余裕がある人間がすることだ。
また、人が安定した生活を持って初めて、より高い精神的な目標や信念に取り組むことができるという意味も含まれている。