「這っても黒豆」の意味(語源由来・類義語・英語訳)
【ことわざ】
這っても黒豆
【読み方】
はってもくろまめ
【意味】
自分が間違っていることが、はっきりとわかっていても、間違っていないと言い張って譲らないことのたとえ。
間違いを認めることは、時に勇気がいることやけど、それで成長できるんやし。”這っても黒豆”みたいにならんように、心を開いておかなあかんね。
【語源・由来】
小さな黒いものが、黒豆であるといったけれど、それが動き始めたことで虫であるとわかっていても、それは黒豆だと言い張ることから由来。
【類義語】
・鹿を指して馬となす(しかをさしてうまとなす)
・鷺を烏と言いくるめる(さぎをからすといいくるめる)
・榎の実は生らば生れ木は椋の木(えのみはならばなれきはむくのき)
【英語訳】
A willful man have his way.
「這っても黒豆」の解説
「這っても黒豆」という表現は、たとえ間違っていても、一度言い張ったことを強情に貫き、自分の主張を曲げようとしない様子を言い表しているんだ。黒いものが這っているのを見ても、それが虫であることを認めずに、黒豆だと言い張るという意味から来ているよ。この言葉は、頑固で譲らない姿勢や、自分の見解に固執する様子を描写するのに使われるね。
例えば、自分が間違っていることが明らかになっても、それを認めずに自分の意見を変えない人のことを、この表現で表すことがあるよ。また、明らかな事実を無視して、自分に都合のいい解釈をする人の態度を批判するときにも用いられるんだ。
このように、「這っても黒豆」は、自分の意見や信念に固執しすぎて、現実を正しく見られなくなっている状態を批判的に指摘する表現なんだ。
「這っても黒豆」の使い方
間違いは素直に認めることが必要よ。
「這っても黒豆」の例文
- 祖母は這っても黒豆の主張を続けるから、親せきに嫌わてしまうのだ。
- 何度説明しても、父は這っても黒豆で聞く耳を持たないからいい加減疲れてしまった。
- 這っても黒豆を続けていては、人から疎まれてしまうよ。間違いは素直に認めることが大切だと、母に教えられた。
- どんなときでも、間違いは素直に聞き入れる人が成長すると、上司に言われた。お前は這っても黒豆だから気を付けろと注意されている。
- あれほど自信を持って発言したけれど、這っても黒豆だったとわかったときには、とても後悔をした。
まとめ
間違えてしまうことのない人は、いないのではないでしょうか。
しかし、間違えたことを譲らず人の教えを受け入れられないことによって、人間関係が壊れてしまったり、自分自身も成長できなかったりするのではないでしょうか。
間違えてしまったときには、素直に謝ることや考えを訂正することが大切ですね。
這っても黒豆と言われないようにしたいですね。