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「人にして古今に通ぜずんば馬牛にして襟裾するなり」の意味(出典・語源由来)
【ことわざ】
人にして古今に通ぜずんば馬牛にして襟裾するなり
【読み方】
ひとにしてここんにつうぜずんばばぎゅうにしてきんきょするなり
【意味】
学問を身につけて初めて人間としての価値が生じるということ。
学ぶことの価値を忘れずに、常に学び続ける心が大事やってことやな。人としての真の価値を高めるためには、学問や知識を大切にしなあかんってことや。
【出典】
「韓愈」の「符書を城南に読む」
【語源由来】
人は無学で古今の道理も心得ていなければ、馬や牛が着物を着ているのと同じである。
「人にして古今に通ぜずんば馬牛にして襟裾するなり」の解説
「人にして古今に通ぜずんば馬牛にして襟裾するなり」とは、韓愈の「符読書城南」からの引用で、深い意味を持っている言葉だね。「古今の道理を理解していない無学な人は、たとえ人間の形をしていても、衣服を着せられた馬や牛と同じで、真の人間としての価値を持たない」という厳しい教訓が込められているんだ。
ここでの「古今の道理」とは、過去から現代に至るまでの知識や道徳、倫理など、人間として知っておくべき基本的な事柄を指しているよ。韓愈は、そのような基本的な知識や道徳観がない人は、人間の形をしてはいても、その精神が未発達であるかのように扱われるべきだと述べているんだ。
この言葉は、「学問や教養が人を真に人間たらしめるものであり、それがなければ人としての尊厳や価値は認められない」という強いメッセージを伝えているんだね。知識や教養、道徳の重要性を強調しており、自己啓発や学びを続けることの大切さを教えてくれているんだよ。だから、常に学び続ける心を持って、人間として成長し続けることが大切だってことを思い出させてくれる言葉なんだ。
「人にして古今に通ぜずんば馬牛にして襟裾するなり」の使い方
「人にして古今に通ぜずんば馬牛にして襟裾するなり」の例文
- この時代の技術変革に適応できず、昔の知識にも疎い彼は、まさに人にして古今に通ぜずんば馬牛にして襟裾するなりの典型例だ。
- 政治の世界に身を置きながら歴史の教訓を学ばず現代の政策にも無関心な政治家は、人にして古今に通ぜずんば馬牛にして襟裾するなりと評されるべきだ。
- 教育の重要性を説く際に、教師はしばしば人にして古今に通ぜずんば馬牛にして襟裾するなりという言葉を引用し学問への専念を促す。
- 企業が市場の変化や過去の失敗から学ぶことなく同じ過ちを繰り返すなら、人にして古今に通ぜずんば馬牛にして襟裾するなりと見なされ競争力を失うだろう。
- 若者たちがスマートフォンの画面に縛られ、周囲の世界や歴史に目を向けない現状は、人にして古今に通ぜずんば馬牛にして襟裾するなりという古言を思い起こさせる。
このことわざは、学問や教養の大切さを説いており、人としての尊厳や価値は、学びや理解によって獲得されるという考えを示しているんだよ。