「子で子にならぬ時鳥」の意味(語源由来・類義語)
【ことわざ】
子で子にならぬ時鳥
【読み方】
こでこにならぬほととぎす
【意味】
養子を大事に育てても、結局自分の子ではない。
「時鳥」は、「杜鵑」とも書く。
「子で子にならぬ時鳥」ということわざは、どれだけ大切に育てても、養子は実の子とは異なる、ということを示す表現なんだよ。
ええっと、それはつまり、愛情いっぱいで育てても、養い子と実子とでは、どこかで違いが出てくるってことやな。
でも、それがいいことや悪いことやとは限らんよな。大切なのは、その子を愛する気持ちやね。人それぞれ、違いを受け入れて、一緒に成長していくことが大事やな。
【語源・由来】
ほととぎすはうぐいすの巣の中に卵を産む習慣があるが、そこで育った子も結局はほととぎすであることから。
【類義語】
・鶯のかいごの中の時鳥
・子で子にあらぬ時鳥
・杜鵑は鶯の養い子
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「子で子にならぬ時鳥」の解説
カンタン!解説
「子で子にならぬ時鳥」っていうことわざは、愛情を込めて育てても、血の繋がりがないという事実は変わらない、っていう意味だよ。
話の元になっているのはウグイスとホトトギスの話なんだ。ウグイスがホトトギスの卵を見つけて、それを自分の子供だと思い込んで孵化(ふか)して、大切に育て上げるんだ。でも、雛が大きくなると、結局はウグイスのところを飛び立ってしまうんだよ。
この話から、たとえどんなに愛情を持って育てたとしても、実の親子ではないことの現実を教えられるんだ。このことわざは、親子の関係や、血の繋がりの大切さを示してくれているんだね。だけど、実の親子でなくても深い絆や愛情は築けることもあるから、このことわざの意味をしっかり理解して、感じ取ることが大切だよ。
「子で子にならぬ時鳥」の使い方
養子をとるか迷っている夫婦がいるよ。
子で子にならぬ時鳥というから簡単には決められないわよね。
家族として共有した時間や思い出は、血のつながりをこえないのかな。
こえることもまれにあるけど、みんなが幸せな家族になれるわけではないわよね。
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「子で子にならぬ時鳥」の例文
- 大きくなり結局実の親のもとに戻っていった。子で子にならぬ時鳥だ。
- 共に過ごした時もDNAにはかなわず、子で子にならぬ時鳥と感じる。
- 自分の子供のように育てても、書類上子で子にならぬ時鳥だ。
- 「どうせ血がつながっていない。本当の親父じゃないんだから放っておけ」と怒鳴られ、子で子にならぬ時鳥と思う。
- 慈悲深く育てたが、子には伝わらなかったようで子で子にならぬ時鳥と悲しくなる。