「惻隠の心は仁の端なり」の意味(出典)
【ことわざ】
惻隠の心は仁の端なり
【読み方】
そくいんのこころはじんのたんなり
【意味】
人の不幸への同情は仁をなす糸口だということ。
「惻隠」は、同情しあわれむこと。「端」は、はじめ。いとぐち。
ああ、そういうことかいな。つまり「他人に対する憐れみの心が人としての善の基本や」ってことやな。他人の苦しみや困難に同情し、情けをかける心が、人間として大切な行いの起点やってことやね。
これは、他人の気持ちを理解し、共感を示すことの重要性を教えてくれてるんや。他人を思いやる心が、人間としての良さの根本やってことやな。
【出典】
「孟子」
孟子が性善説の根拠とした言葉。人には、「惻隠」「羞悪」「辞譲」「是非」が生まれながら備わり、それぞれ仁・義・礼・智の糸口とする。
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「惻隠の心は仁の端なり」の解説
カンタン!解説
「惻隠の心は仁の端なり」という表現は、孟子の教えに基づくもので、他人に対する憐れみや同情の心が、仁(人間の道徳的な良さや善性)の根本であるという意味を持っているんだよ。「惻隠」とは、他人の苦しみや困難に対して感じる同情や共感の心を指していて、この心が仁の基本とされているんだね。
このことわざは、「孟子」の中の「公孫丑(こうそんちゅう)・上」の章に出てくる教えで、惻隠の心は仁の始まり、つまり仁の基本的な部分であると説明されているよ。「惻」は常に心に気にかけることを意味し、「隠」は他人の立場に立って心配することを意味しているんだ。
孟子は、人間の本性は善であり、惻隠の心のような本能的な感情が、それを示していると考えたんだね。この教えによれば、惻隠の心は仁の他の要素である義(道徳的な正しさ)、礼(礼儀や礼節)、智(知恵)の基礎となっているんだ。これらの感情や心の動きは、人間が持つ道徳的な素質や可能性を示しており、これらを育てることで、より高い道徳的な生活を送ることができるとされているんだよ。
「惻隠の心は仁の端なり」の使い方
健太くんは良い先輩ね。後輩に対して思いやりがあるわ。
惻隠の心は仁の端なりと心に留めているからね。
仁は最高の徳よね。
徳を積んで聖人君主になるのが僕の夢なんだ。
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「惻隠の心は仁の端なり」の例文
- 思いやりの心は、惻隠の心は仁の端なりというので出し惜しみしてはいけない。
- 惻隠の心は仁の端なりというので、人をあわれみ仁を身につける。
- 国民を思いやれない政治家は、惻隠の心は仁の端なりというから徳のない人なのだろう。
- 思いやりあふれる彼は、惻隠の心は仁の端なりというように徳が高い人間だ。
- 徳を積みたいなら惻隠の心は仁の端なりというから、人を思いやると良い。
他人の苦しみに対して心からの同情を示し、助けを提供することの重要性を強調しているんだ。