「母の折檻より隣の人の扱いが痛い」の意味(語源由来・類義語)
【ことわざ】
母の折檻より隣の人の扱いが痛い
【読み方】
ははのせっかんよりとなりのひとのあつかいがいたい
【意味】
親の子への愛情の深さをいう。子にとっては母親にしかられ叩かれることより、仲裁に隣の他人が入る方が怖いと感じるということ。
子供は外部の人からの反応に敏感やから、他人の言動が影響を与えるんやな。自分の家族よりも外部の人の言葉が、もっと深く心に残るってことやね。だから、子供には周りの人の反応も大事になってくるんやな。
【語源由来】
親が子供を叱るのは愛情からだが、その仲裁に入る隣人は、どんなに優しく見えても親のような愛情はないということから。
【類義語】
・親の打つ拳より他人の摩るが痛い
「母の折檻より隣の人の扱いが痛い」の解説
「母の折檻より隣の人の扱いが痛い」ということわざは、子どもにとって母親からの叱り方や叱られることが、実は隣の人など他人からの扱いよりも心地よいという意味があるんだよ。これは、母親が子どもを叱る時には愛情が込められているけど、他人が介入してくると、その愛情が感じられないということを表しているんだね。
このことわざは、子どもが母親に叱られる時、それは母親の愛情の表れであると同時に、子どものためを思ってのことだと理解できるんだ。だから、母親からの叱りは、子どもにとっては愛情深いものと感じられることが多いの。
でも、隣の人や他人が子どもを叱ったり仲裁に入ったりする時、そこには母親のような愛情が感じられない。そのため、子どもにとっては他人からの叱りや仲裁がより厳しく、辛く感じられるんだよ。一部の解釈では、他人の介入には自分たちの利益や打算が絡んでいることがあるとも言われているんだね。
このことわざは、家庭内での愛情の深さと、外部の人間との関わり方の違いを表しているんだ。母親の叱りは愛情から来るものだけど、他人の関わりにはその愛情が含まれていないことが多いということを示しているんだよ。
「母の折檻より隣の人の扱いが痛い」の使い方
「母の折檻より隣の人の扱いが痛い」の例文
- 親によく叱られたが、大人になって振り返ってみると母の折檻より隣の人の扱いが痛いと思う。
- 好き好んで怒る親は少ない。母の折檻より隣の人の扱いが痛いように、愛情ゆえの怒りなのだ。
- 怒らない親が増えたが、母の折檻より隣の人の扱いが痛いもので、大きくなって他人にマナー違反を怒られるくらいなら、幼少期に母に怒られた方が愛があっていい。
- 何でもかんでもハラスメントで訴える風潮にあるが、母の折檻より隣の人の扱いが痛いように、愛情ある折檻は悪くないのではないだろうか。
- 母に怒られている所に知らない人が「どうしたの?怒られているの?」と仲裁にきてもうれしくない。母の折檻より隣の人の扱いが痛いというが、母が怒るのは僕を愛しているからだからいいんだ。