「泥棒せぬは氏神ばかり」の意味
【ことわざ】
泥棒せぬは氏神ばかり
「盗人せぬは氏神ばかり」ともいう。
【読み方】
どろぼうせぬはうじがみばかり
【意味】
誰しも多かれ少なかれ盗み心を持っているものだ。
つまり、この世の中で絶対に裏切らないのは、氏神くらいだということを示してるのやな。
人々の間の不信感や、信頼の難しさを伝える言葉やで。信頼は貴重で、氏神のような絶対的な存在は稀だという意味が込められてるんやろな。
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「泥棒せぬは氏神ばかり」の解説
カンタン!解説
「泥棒せぬは氏神ばかり」という言葉はね、要するに、神様くらいしか絶対に盗みをしない存在はいないってことを言ってるんだよ。人間はみんな、ちょっとでも盗みたいと思うような気持ちを持っていることがあるけど、その気持ちを実際に行動に移すわけじゃないんだ。
たとえば、お店でおもちゃを見たときに、「あれ、持って帰りたいな」と思うことはあっても、手に取ってそのまま出てこないよね。それは、親や先生から教わったことや、自分で考えて知った善悪のことを思い出して、その盗みたいという気持ちを抑えるからだよ。
もう一つの解釈としては、完全に心がきれいで、欲がなくて、何も悪いことを思わない人は、この大きな世界にほとんどいないって意味もあるんだ。みんな、いいことも悪いことも感じるけど、どう行動するかは自分次第だよね。
「泥棒せぬは氏神ばかり」の使い方
まさかあの人が不正に手を染めるとはね。
泥棒せぬは氏神ばかりね。
人間は多かれ少なかれ煩悩を抱えているんだね。
煩悩とうまく付き合っていかないと、ちょっとしたことで悪に傾いてしまうわね。
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「泥棒せぬは氏神ばかり」の例文
- 道徳を説く教師だって、泥棒せぬは氏神ばかりというようにずるい考えが浮かんだりする。
- 悪いことをした人なんて、この世にいないんじゃないだろうか。泥棒せぬは氏神ばかりで、聖人のような人は存在しない。
- 泥棒せぬは氏神ばかりだが、不正な心を実行に移すか否かで大きな違いになる。
- 警察署の金庫から金が盗まれたが、泥棒せぬは氏神ばかりというから署内に犯人がいてもおかしくない。
- 泥棒せぬは氏神ばかりというように、泥棒をしないと言い切れる人間は誰一人いないから、防犯意識が高くないと危険だ。
他のすべてのものや人々は、どこかで信頼を裏切る可能性があるという皮肉や疑念を含んでいるわけだ。