「画工闘牛の尾を誤って牧童に笑わる」の意味(出典・故事)
【ことわざ】
画工闘牛の尾を誤って牧童に笑わる
【読み方】
がこうとうぎゅうのおをあやまってぼくどうにわらわる
【意味】
無学な人であっても自分の専門分野には詳しいから、その意見に耳を傾けた方が良いということ。
ふ~ん、要するに、「ちゃんと見ないと描けへん」ってことやね。つまり、専門家に笑われるような失敗をしないためにも、ちゃんと勉強することが大事ってことやな。
そして、学べることは誰からでも学ぶべきってことも教えてくれてるわけや。何でも一度に理解しようとせんで、ちゃんと学んでいくんが大事なんやね。
【出典】
「蘇軾」-「書戴嵩画牛」
【故事】
闘牛は股間に尾をはさんで戦うのに、尾を振って戦ってい絵を珍しがって大事にしていた男が、牧童に笑われてその絵を燃やしたという故事から。
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「画工闘牛の尾を誤って牧童に笑わる」の解説
カンタン!解説
「画工闘牛の尾を誤って牧童に笑わる」っていうことわざはね、昔の中国の話から来ているんだよ。
話の中で、有名な画家が闘牛の絵を描いたんだ。でも、彼は闘牛の尾の描き方を間違えてしまった。本当の闘牛は戦うときに尾を股の間に挟むんだけど、彼は尾を振って戦うように描いてしまったんだ。
そしたらね、牧童という牛をよく知っている少年が、その絵を見て笑ってしまった。画家は恥ずかしさからその絵を燃やしてしまったんだよ。
このことわざは、二つの大切な教えをくれるよ。
- 本物をよく観察しないと、間違った絵を描いてしまうように、何事も正確に理解してから行動することが大切だってこと。
- 牧童のような、学問がなくても専門の知識がある人からも、たくさん学ぶことができるってこと。だから、人それぞれの知識や経験を尊重することも重要なんだよね。
この話から、事実を正確に知ることや、人の意見を尊重することの大切さを学ぶことができるんだ。
「画工闘牛の尾を誤って牧童に笑わる」の使い方
うーん。これでいいのかな。
画工闘牛の尾を誤って牧童に笑わるというから専門家に聞いてみましょう。
このままネット上にアップして、間違っていて笑われたら困るもんね。
笑われるならまだいいわ。炎上したら最悪よ。
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「画工闘牛の尾を誤って牧童に笑わる」の例文
- 聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥だし、画工闘牛の尾を誤って牧童に笑わるだから、詳しい人にたずねよう。
- 学校のテストではいつも0点の健太くんだが、その分野に詳しいと聞く。画工闘牛の尾を誤って牧童に笑わるだから意見を聞いてみよう。
- 無学の者にきくのはプライドが傷つく?画工闘牛の尾を誤って牧童に笑わるで、君が見下した者に笑われるより良いだろう。
- 画工闘牛の尾を誤って牧童に笑わるというから、老若男女問わずよく知っている人に聞くべきだ。
- 子供の意見だって馬鹿にできないことがある。画工闘牛の尾を誤って牧童に笑わるだ。
さらに、この言葉は専門の道に詳しい者から、たとえその人が無学であっても学べることが多いという意味も含まれているよ。