「下駄も阿弥陀も同じ木の切れ」の意味(類義語)
【ことわざ】
下駄も阿弥陀も同じ木の切れ
【読み方】
げたもあみだもおなじきのきれ
【意味】
人の足に踏まれる下駄も、人から頭を下げて拝まれる阿弥陀の像も、どちらも同じ木でできているということ。出発点は同じでも、運命によって境遇に差が出るたとえ。また、境遇は異なっても人間はみな同じという意味。
ああ、なるほどな。そういうことはよくあるもんやな。たとえば、同じ学校や家族の中で、後に成功する人とそうでない人がおるやん。
でも、そもそものスタート地点は一緒。その後どう頑張るか、どう心がけるかで大きな違いが出るんやね。このことわざ、ちょっと深いわ。自分の生き方や考え方を見直すきっかけにもなりそうやな。
【類義語】
・下駄も仏も同じ木の端
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「下駄も阿弥陀も同じ木の切れ」の解説
カンタン!解説
「下駄も阿弥陀も同じ木の切れ」の言葉を簡単に説明すると…
みんな、同じスタート地点から始まることが多いんだよ。たとえば、学校のクラスで、一緒に学び始めるとき、みんな同じ知識やスキルのレベルから始まるよね。でも、どれだけ努力したか、どれだけ頑張ったかによって、後でみんなのできることや結果が変わってくることがある。
このことわざは、そういうことを伝えているんだ。下駄(げた)は、木でできた日本の伝統的な履き物で、地面を歩くときに使われるもの。一方、阿弥陀(あみだ)は、仏教の中で尊ばれる存在で、木で作られた仏像として拝まれることもある。でも、どちらも元は同じ木から作られているんだ。
つまり、最初は同じでも、後でどうなるかは、それぞれの選択や努力によるってことを教えてくれる言葉なんだよ。
「下駄も阿弥陀も同じ木の切れ」の使い方
兄さんと僕は同じ両親から生まれて、ほぼ同じものを食べて育ったのに、下駄も阿弥陀も同じ木の切れというように、何でこんなに差があるんだろう。
健太くんのお兄さんは、優秀ですごくもてるもんね。
そうなんだよ。兄弟だなんて信じられないよね。
健太くんは努力を怠りすぎたのよ。今からでもがんばればお兄さんを追い抜くことさえ可能かもしれないわよ。
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「下駄も阿弥陀も同じ木の切れ」の例文
- 下駄も阿弥陀も同じ木の切れ、彼らは下駄になるか阿弥陀になるか。
- 同じ大学に入学したのに、下駄も阿弥陀も同じ木の切れ、卒業後の就職先には大きな差があります。
- 下駄も阿弥陀も同じ木の切れ、運命の波に乗って、新入生一同の中で僕は阿弥陀を目指したい。
- 受験でふるいにかけられ、同じスタートラインにたったほぼ同じ学力の生徒たち、下駄も阿弥陀も同じ木の切れ、どう成長していくんでしょうね。
- 一緒に切磋琢磨した彼は、今や有名な棋士となっている、下駄も阿弥陀も同じ木の切れ、境遇に差がついたなあ。
つまり、尊いものと卑しいものが、もとは同じ出発点から始まっているという考え方だよ。