【故事成語】
一利を興すは一害を除くに如かず
【読み方】
いちりをおこすはいちがいをのぞくにしかず
【意味】
一つの利益を新しく生み出そうとするよりも、すでにある一つの害を取り除くことに力を注ぐ方がよい、ということ。


【英語】
・An ounce of prevention is worth a pound of cure(少しの予防は多くの後始末にまさる)
【類義語】
・転ばぬ先の杖(ころばぬさきのつえ)
【対義語】
・臭い物に蓋をする(くさいものにふたをする)
「一利を興すは一害を除くに如かず」の故事
「一利を興すは一害を除くに如かず」は、中国の史書『元史(げんし)』(1370年成立、宋濂ら編)巻一百四十六、耶律楚材(やりつそざい)伝に出てくる「興一利不如除一害」にもとづく故事成語です。『元史』は、元代について記した官撰の紀伝体の歴史書で、元史研究の基本文献とされる正史です。
耶律楚材は、1190年から1244年まで生きたモンゴル帝国初期の功臣です。契丹(きったん)族に属し、遼(りょう)の王族の子孫で、金に仕えたのち、チンギス=ハンに降って政治顧問となり、オゴタイ=ハンの時代には中書令として行政制度や税制の基礎を整えました。
『元史』の耶律楚材伝には、楚材が若いころから多くの書物に通じ、天文・地理・暦・医術などにも明るかったことが記されています。また、チンギス=ハンが楚材を重んじ、のちの軍国の政務をゆだねるよう太宗に語ったことも伝えています。
この故事成語の背景には、征服後の土地や民をどう治めるかという大きな問題がありました。『元史』には、州郡の長官が勝手に徴発を行い、人の妻子や財物、土地を奪うような乱れがあったため、楚材が泣いて奏上し、勝手な徴発や処罰を禁じる制度を求めたことが記されています。
さらに、富人たちが銀百四十万両で天下の課税を請け負おうとしたとき、楚材は「貪利之徒、罔上虐下、為害甚大」と言い、利益をむさぼる者が上をあざむき下の民を苦しめ、害が大きいとして、その案をやめさせました。ここでは、新しい収入の仕組みをつくることよりも、民を苦しめる害を取り除くことを優先する政治姿勢がはっきり表れています。
その場面に続いて、『元史』には「常曰、興一利不如除一害、生一事不如省一事」とあります。やさしく言えば、利益になることを一つ始めるより、害になることを一つ除く方がよく、仕事を一つ増やすより、余計な仕事を一つ省く方がよい、という意味です。
この後の同じ伝には、オゴタイ=ハンが酒を好んで大臣たちと飲みすぎていたとき、楚材が酒槽の鉄の口を示し、酒のもとになるものは鉄さえ腐らせるのだから、人の内臓にはなおさらよくない、と諫めた話も記されています。これも、楽しみを増やすより先に、身を損なう害を減らすという考えに通じています。
この言葉は、後に『十八史略(じゅうはっしりゃく)』にも関わる表現として読み継がれました。『十八史略』は、宋末・元初の曾先之が撰した中国史の入門書で、古い正史の記事を取捨してまとめた歴史読本です。
日本語では、「興一利不如除一害」を訓読して、「一利を興すは一害を除くに如かず」という形で受け入れました。「興す」は新しく始めること、「除く」は取り去ることを表します。新しい利益を追いかける前に、すでに人々を苦しめている害をなくすことこそ大切だ、という戒めが、この短い言葉にこめられています。
そのため、この故事成語は、ただ消極的に「何もしない方がよい」と言う表現ではありません。むしろ、問題の根を見つけて取り除くことを、利益を増やす以上に大切な行動として示す言葉です。
「一利を興すは一害を除くに如かず」の使い方




「一利を興すは一害を除くに如かず」の例文
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主な参考文献
・宋濂ら編『元史』1370年。
・曾先之撰『十八史略』宋末・元初。
・鎌田正著『故事成語名言大辞典』大修館書店、1988年。
・諸橋轍次著『中国古典名言事典』講談社、1972年。
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2006年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。























