【故事成語】
一葉目を蔽えば泰山を見ず
【読み方】
いちようめをおおえばたいざんをみず
【意味】
些細なことに心を奪われると、物事の道理や全体の姿が見えなくなり、正しい判断ができなくなること。耳や目で得た一部の情報だけに頼る危うさを戒める意味も含む。


【英語】
・not see the forest for the trees(細部に気を取られて全体を理解できない)
【類義語】
・木を見て森を見ず(きをみてもりをみず)
・明は以て秋毫の末を察するに足れども而も輿薪を見ず(めいはもってしゅうごうのすえをさっするにたれどもしかもよしんをみず)
・鹿を逐う者は山を見ず(しかをおうものはやまをみず)
【対義語】
・一葉落ちて天下の秋を知る(いちようおちててんかのあきをしる)
・大所高所(たいしょこうしょ)
「一葉目を蔽えば泰山を見ず」の故事
「一葉目を蔽えば泰山を見ず」は、中国古典の『鶡冠子(かつかんし)』天則篇に出てくる「一葉蔽目、不見太山」という句にもとづく故事成語です。『鶡冠子』は、鶡の羽毛の冠を着けた楚の隠者と称される人物、またその人物に仮託された書で、現行本は三巻十九編から成ります。
もとの文は、「夫耳之主聽、目之主明。一葉蔽目、不見太山、兩豆塞耳、不聞雷霆」とあります。耳は聞くことを、目は見ることをつかさどるものですが、一枚の葉が目をふさげば大きな太山も見えず、二粒の豆が耳をふさげば雷の音も聞こえない、という意味です。
ここでいう「太山」は、のちに「泰山」とも書かれる中国の名山を指します。泰山は中国山東省の中央部にある山で、秦・漢の時代以来、五岳のうちでも重要な東岳として崇拝されてきました。小さな葉でそのような大きな山が見えなくなるという対比によって、わずかな障りが判断を大きく狂わせることを強く表しています。
『鶡冠子』天則篇では、この句の前に、道にかなった政治は耳や目だけに頼るものではない、という内容が述べられています。目で見たこと、耳で聞いたことは大切ですが、それだけに頼ると、一部の情報にふさがれて、広い道理を見失うことがあります。
また、もとの文には「兩豆塞耳、不聞雷霆」も続きます。これは、小さな二粒の豆でも耳をふさげば激しい雷鳴が聞こえなくなる、というたとえです。目と耳の両方を用いて、小さなものにさえぎられると、大きく明らかなものまで分からなくなることを示しています。
この表現は、中国語では「一葉蔽目、不見泰山」や「一葉障目、不見泰山」の形でも使われます。「局部的または一時的な現象に惑わされて、全体的・根本的な問題を見通せない」という意味で、現在の日本語の意味ともよく重なります。
日本語の「一葉目を蔽えば泰山を見ず」は、漢文の比喩を訓読風に受け入れた形です。「一葉」は一枚の葉、「蔽えば」はおおえば、「泰山」は中国の大きな名山です。小さな葉と大きな山を並べることで、目の前の小さなことに心をふさがれたとき、人は本来見えるはずの大事なものまで見失う、という戒めになります。
そのため、この故事成語は、単に「細かいことを見るな」という意味ではありません。細かな点に注意することは必要ですが、その一点だけに心を取られ、全体の道理や根本の問題を見なくなることを戒める表現です。
「一葉目を蔽えば泰山を見ず」の使い方




「一葉目を蔽えば泰山を見ず」の例文
- 一つの誤字だけを責めて文章全体の考えを読まない態度は、一葉目を蔽えば泰山を見ずに近い。
- 目先の値引きだけで商品を選ぶと、一葉目を蔽えば泰山を見ずとなり、長く使えるかどうかを見落とす。
- 友人の一度の失敗だけで人柄まで決めつけるのは、一葉目を蔽えば泰山を見ずというものだ。
- 会議で細かな数字にこだわりすぎ、事業全体の目的を忘れては、一葉目を蔽えば泰山を見ずになる。
- 試合に負けた悔しさだけにとらわれると、一葉目を蔽えば泰山を見ずで、次に生かせる成長を見逃す。
- 一葉目を蔽えば泰山を見ずを戒めとして、問題の一部だけでなく全体の流れを見直した。
主な参考文献
・公益財団法人日本漢字能力検定協会編『漢検 漢字辞典 第二版』日本漢字能力検定協会、2014年。
・北京・商務印書館・小学館共同編集『中日辞典 第3版』小学館、2016年。
・北村孝一編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・『鶡冠子』
・中華民國教育部『重編國語辭典修訂本』
・Cambridge University Press『Cambridge Advanced Learner’s Dictionary & Thesaurus』























