「三釜の養」の意味(出典・故事)
【ことわざ】
三釜の養
【読み方】
さんぷのよう
【意味】
薄給の身でも親孝行すること。
小さな収入の中でも親を養うための工夫や努力、その心意気が美しいわ。親孝行の気持ちは金銭には代え難いものやもんね!
【出典】
「荘子」
【故事】
孔子の弟子の曽子が「親の存命中に仕官した時は、わずか三釜の給料でも親孝行ができたが、二度目の士官の時は高給をとるようになったのに、親がすでに亡くなってしまっていたのが悲しい」と話したという。
「三釜の養」の解説
「三釜の養」っていう言葉は、昔の「荘子」という話から来てるんだよ。この「釜」というのは、一つが6斗4升っていう量なんだけど、これはおおよそわかりづらいかもしれないね。要するに、すごく少ないお金のことを表してるの。この話では、ちょっとしたお小遣いみたいなものから、親を大切にすること、つまり親の面倒を見ることを言ってるんだ。
でね、曽子っていう人が出てくるんだけど、彼は親が生きてる時には、その少ないお金でも親を大切にして、とっても幸せだったんだよ。でも、後にもっとたくさんのお金、具体的に言うと「3000鍾」(これは1釜の10倍の量だよ)を手に入れたとき、親はもう亡くなっていて、その大金を持ってても幸せじゃなかったんだって。
この話のポイントは、お金よりも大切なもの、家族や愛する人との時間は貴重だってことを教えてくれるんだよ。だから、どんなにお金があっても、大切な人との時間や思い出が一番価値があるってことを伝えたいんだね。
「三釜の養」の使い方
「三釜の養」の例文
- 妻の手厚い介護のおかげで、三釜の養をなした。
- 三釜の養をなしたかったが、両親が老人ホームに入居することを望んだ。
- 給料は少ないが時間はあったので、話し相手になり三釜の養をなせた。
- 実家に帰らない成人男性が多い中で、彼は足繁く通い三釜の養をなした。
- 金額が全てではない。親が心の底から喜んでいれば、それは三釜の養だ。
これは、経済的に困難な状況でも、親に対する感謝や責任感を持ち続ける姿勢を讃えることわざなんだ。