「大家後無し」の意味(類義語)
【ことわざ】
大家後無し
【読み方】
たいかのちなし
【意味】
ある分野で特にすぐれた見識や技能をもっている人の子孫が、同じようにすぐれているとは限らず、血筋より努力次第だということ。
血筋よりも、自分自身の努力や頑張りが大切なんやな。どんな立場に生まれてきても、自分の努力次第で自分なりの成功をつかめるってことを教えてくれてるんやな。
【類義語】
・尭の子尭ならず
・賢の子賢ならず
・名人の子に名人なし
「大家後無し」の解説
「大家後無し」ということわざは、ある分野や技術において高い達成を収めた大家や名人は、その技術や才能が自動的に子孫に受け継がれるとは限らないという意味のたとえ話なんだ。
この表現は、特定の分野で卓越した能力や成就を示した人物がいても、その人物の子孫や後継者が同じレベルの才能や成果を示すとは限らないという事実を指摘しているんだ。つまり、才能や技術、知識は一代に限り、必ずしも世代を超えて受け継がれるものではないということを示しているんだよ。
このことわざは、個々人の努力や才能の重要性を強調していて、たとえ素晴らしい才能を持つ人物が親であっても、子孫が自動的に同じ道を歩むとは限らず、それぞれが独自の努力や学びを通じて自分の道を築く必要があると教えてくれるんだ。また、特定の分野での卓越性は、持続的な努力や継続的な学びなしには保持されないという点も示しているんだね。それは、どんな分野でも、大家と呼ばれるような人物は稀であり、その地位や才能が自動的に次世代に受け継がれるわけではないという現実を反映しているんだ。
「大家後無し」の使い方
「大家後無し」の例文
- 政治家が世襲制なのはおかしい。大家後無しという。
- 大家後無しだが、歌舞伎俳優は生まれた時から後継者として教育されるから、自ずと歌舞伎の素養が身につく。
- すぐれた野球選手に子供がいないと聞くと残念がるファンがいるが、大家後無しだから彼の子が優秀とは限らない。
- 偉大な科学者はアスペルガー症候群であることが多く、それは遺伝的要素があるためその息子も偉大な科学者になる可能性がある。しかし、一般的に大家後無しで、大家の子供が大家になるとは約束されていない。
- 残念な二世、三世を見ていると、大家後無しだなと感じる。
つまり、血のつながりや家柄よりも、努力や頑張りが重要なんだよ。