【ことわざ】
内裸でも外錦
【読み方】
うちはだかでもそとにしき
【意味】
内実がどれほど苦しくても、外では立派に見せ、世間体を整えなければならないというたとえ。


【英語】
・keep up appearances(苦しい実情を隠して世間体を保つ)
【類義語】
・世間は張り物(せけんははりもの)
「内裸でも外錦」の語源・由来
「内裸でも外錦」は、「内」と「外」、「裸」と「錦」を対にした表現です。「内裸」は、家の中では裸同然の苦しい暮らしをすること、「外錦」は、外に出るときには立派に装い、世間体を整えることを表します。
「裸」は、衣服を着けていない状態だけでなく、財産や持ち物がない状態も表す言葉です。一方の「錦」は、美しい模様を織り出した絹織物であり、ここでは、立派な衣服や華やかな外見の象徴となっています。
このことわざの初出例として挙げられるのは、近松門左衛門の人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)『心中天の網島(しんじゅうてんのあみじま)』(1720年・江戸時代中期、近松門左衛門著)です。享保5年12月6日に大坂の竹本座(たけもとざ)で初演された、三巻からなる世話物(せわもの)です。
この作品は、大坂の網島で起こった心中事件をもとに、曽根崎新地(そねざきしんち)の遊女小春と、妻子のある紙屋治兵衛との悲劇を描いています。治兵衛の妻おさんは、夫への思いと、小春に対する「女同士の義理」との間で苦しみます。
中巻では、小春が別の男に請け出されれば、命を絶つかもしれないと知ったおさんが、治兵衛に小春を身請けさせようとします。そのために、自分や子供の衣類まで質草(しちぐさ)にして、必要な金を工面しようとします。
おさんが箪笥(たんす)を開け、家に残る着物を次々と取り出す場面では、さまざまな織物や小袖(こそで)が列挙されます。夫が人前に出るための晴れ着まで質に入れようとするところで、「のきものかれもせぬ中は、内はだかでもそとにしき」と語られます。
ここでは、家族が着る物に困るほど家の中が苦しくなっても、夫が世間に出る以上、その身なりだけは立派に整えなければならないという考えが示されています。おさんは、自分や子供の衣類を手放す一方で、夫の体面を守ろうとしているのです。
したがって、この場面の「内裸」は単なる誇張ではなく、箪笥の中が空になるほど衣類を差し出す家族の窮状と結び付いています。「外錦」は、本当に錦の衣を着ることだけでなく、外から立派に見えるように装い、世間の信用や体面を保つことを表します。
『心中天の網島』の用例は、現在とほぼ同じ形で現れています。この作品だけから、近松門左衛門が作った言葉と断定することはできませんが、江戸時代中期には、内情を犠牲にしてでも外聞を整える世渡りを表す言い方として用いられていました。
また、「外錦」だけでも、世間体を繕うことや見えを張ることを意味する言葉となりました。その初出例にも、『心中天の網島』の「内はだかでもそとにしき」が挙げられています。
やがて、「内裸でも外錦」は、衣服だけに限らず、暮らしや家計が苦しくても、外向きには立派な姿を保つことを表すことわざとして定着しました。内実と外見との大きな隔たりを、「裸」と「錦」という対照的な言葉で、印象深く言い表しています。
「内裸でも外錦」の使い方




「内裸でも外錦」の例文
- 家計は苦しかったが、商家の主人は内裸でも外錦と、客前では身なりを整えた。
- 会社の資金繰りが厳しいのに豪華な応接室を保つのは、内裸でも外錦の考え方だ。
- 祖母は、苦しい時ほど世間体を崩すなと、内裸でも外錦を口にした。
- 祝いの席だけは立派な着物で出た彼女の姿に、内裸でも外錦という言葉を思い出した。
- 内裸でも外錦で信用を守ろうとしたが、見栄のための出費が家計をさらに圧迫した。
- その老舗旅館は内裸でも外錦の心構えで、経営難を表に出さず客を丁寧に迎えた。
主な参考文献
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・Collins『Collins COBUILD Advanced Learner’s Dictionary 10th Edition』HarperCollins Publishers、2023年。
・近松門左衛門『心中天の網島』1720年。























