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「米の飯と天道様は何処へ行っても付いて回る」の意味(類義語)
【ことわざ】
米の飯と天道様は何処へ行っても付いて回る
【読み方】
こめのめしとてんとうさまはどこへいってもついてまわる
【意味】
どこへ行っても、日の光はさすし、食っていくくらいのことはできるということ。楽天的な生き方。また、雇われた者が仕事を替えるときに捨て台詞ぎみに使う。
太陽みたいにどこでも輝いて、飯みたいに食べて生きていく強さが必要やな。どんな場所や状況でも、基本の生きる力は人に備わってるっていうわけやね。
【類義語】
・江戸中の白壁は皆旦那
・此処ばかりに日は照らぬ
・天道様は回り持ち
「米の飯と天道様は何処へ行っても付いて回る」の解説
「米の飯と天道様は何処へ行っても付いて回る」っていうことわざはね、太陽がどこにいても空から照らしてくれるように、どんな大変な状況になっても、何とかしてご飯を食べて生きていけるっていう意味だよ。
つまり、例えばね、とっても遠くの場所に引っ越して、新しい生活を始めたとしても、そこでも太陽はきっと毎日照ってくれるよね。それと同じで、どんな困ったときでも、何とかしてご飯を食べて、生きていける力があるっていうことを言ってるんだ。
「天道様」とは太陽のことで、太陽はどこにいても空から照らしてくれるから、このことわざは、生きる力や食べ物を手に入れる能力はどこに行っても失わないっていうことを伝えているんだよ。
「米の飯と天道様は何処へ行っても付いて回る」の使い方
「米の飯と天道様は何処へ行っても付いて回る」の例文
- 米の飯と天道様は何処へ行っても付いて回ると言い捨てて彼はこの会社を辞めて行った。
- 米の飯と天道様は何処へ行っても付いて回る、だから未来についてあまり悩まずに、今日を楽しく生きて行こう。
- 米の飯と天道様は何処へ行っても付いて回るというように、どこへ行っても生きていけるものだ。
- 米の飯と天道様は何処へ行っても付いて回るというように、どんなに苦しくても生きることができるものだ。
- 米の飯と天道様は何処へ行っても付いて回るというように何とかなるものだよ。
「米の飯と天道様は何処へ行っても付いて回る」を深掘り
「米の飯と天道様は何処へ行っても付いて回る」という日本の諺は、日本人の生活において米と太陽(天道様とも呼ばれる)がいかに普遍的であり、欠かせない存在であるかを表しています。
この諺は、古くから日本の国民食である白米がどの地域においても主食として確固たる位置を占めていたこと、そして太陽が毎日昇り、人々の日常生活を照らし出すことの比喩です。
太陽は農業を含む多くの活動にとって必要不可欠であり、特に稲作においては豊作と不作を左右する要素として認識されてきました。
同じく、米は食生活の中心であり、日本人の身体を育む基本的な栄養源でした。
しかし、時代の変化により、この諺の意味するところが薄れつつあると指摘されています。
第二次世界戦争中に始まった食糧管理政策によって国民全員が米を食べるようになったものの、時が経つにつれて食生活は多様化し、米の消費量も減少しています。
更に、近年では米の不作による輸入の増大など、国内での稲作に関わる環境が変化し続けており、米という存在が以前ほど日本人の生活に根差すものではなくなってきているのです。
そうした背景を踏まえると、「米の飯と天道様はどこへ行ってもついてまわる」という言葉は、変わりゆく時代の中で徐々にその実感を失いつつあることを示唆しているのです。
かつては日本のどこに行っても、誰もが米を食べ、太陽の恵みを受けて生活していたという事実が、今ではそうとは限らない、ということを表しています。
参考文献
植物ことわざ事典 | 足田 輝一