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「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の意味(語源由来・類義語・英語訳)
【ことわざ】
心頭を滅却すれば火もまた涼し
【読み方】
しんとうをめっきゃくすればひもまたすずし
【意味】
心から雑念(ざつねん)を払い無念無想(むねんむそう)の境地(きょうち)に達すれば、火でさえも熱くは感じないというたとえ。
心の持ちようで、どんな苦労や苦痛もつらさを感じないものというたとえ。
この言葉は、心の持ち方次第で、どんな困難も乗り越えられるってことを教えてくれてるんや。
【語源・由来】
天正十年、甲斐(かい=今の山梨県)の恵林寺(えりんじ)の禅僧快川(ぜんそうかいせん)が、織田信長の軍勢に寺を攻め入られたときに、火の中に座って杜荀鶴(とじゅんかく)の詩「心頭滅却すれば火自ずから涼し」と唱えて焼け死んだといわれることが由来。
杜荀鶴「夏日悟空上人の院に題する詩(かじつごくうしょうにんのいんにだいするし)」より。
【類義語】
・則天去私(そくてんきょし)
・明鏡止水(めいきょうしすい)
・無念無想(むねんむそう)
【英文】
Nothing is impossible to a willing mind.
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の解説
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」という言葉は、無念無想の境地に達することで、どんな苦難や困難な状況でも心の平穏を保つことができるという意味を持っているんだよ。
この言葉の背景には、甲斐恵林寺の快川紹喜が織田信長によって攻められ、寺が火をかけられた際にこの偈(げ)を発したという逸話があるんだ。火の中にいても、心が無念無想の状態にあれば、火の熱さすら涼しく感じることができるという深い意味が込められているんだね。
たとえば、様々な人生の困難や苦しみの中でも、心を静め、何も思わない状態に達することで、その苦しみや困難を超越し、心の平穏を保つことができるという教えなんだ。
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」という言葉は、内面の精神状態が外界の状況に対する我々の感じ方に大きな影響を与えることを示しており、どんな状況においても心の平和を保つことの重要性を教えてくれるんだね。このことわざは、精神の力が物理的な現象を超越することができるという深い哲学的な意味を含んでいるんだ。
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の使い方
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の例文
- 心頭を滅却すれば火もまた涼しというのだから、これくらいの暑さでへこたれるとは情けないことだ。
- 指を折ったくらいで悲鳴を上げるな。心頭を滅却すれば火もまた涼しだ。
- 心頭を滅却すれば火もまた涼しだから、このくらいのことは耐えられるはずだ。
- 試合の途中で肩に痛みを感じたけれど、心頭を滅却すれば火もまた涼しだとピッチャーはマウンドから降りなかった。
- 誰も解決のできなかった仕事を任されたけれど、心頭を滅却すれば火もまた涼しで取り組んでいる。
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の文学作品などの用例
御承知でもござろうが、甲斐の恵林寺は、武田信玄以来の名刹で、昔、織田信長があの寺を攻めてやきうちを試みた時、寺の主快川国師は楼門の上に登り、火に包まれながら、心頭を滅却すれば火もおのずから涼しといって、従容として死に就いた豪い出家である。(中里介山の大菩薩峠より)
まとめ
火でさえも熱く感じないというほど、心から雑念を払い無念無想の境地に達することは、簡単にできることではありませんね。
しかし心の持ちようで苦労やつらさを、前に進もうとする気持ちにすることはできるのではないでしょうか。
心頭を滅却すれば火もまた涼しという、心の強さを見習いたいですね。