【ことわざ】
魚の目に水見えず、人の目に空見えず
【読み方】
うおのめにみずみえず、ひとのめにそらみえず
【意味】
身近にあり、自分に深く関わっているものほど、かえってその存在や価値に気づきにくいことのたとえ。


【類義語】
・灯台下暗し(とうだいもとくらし)
・近くて見えぬは睫(ちかくてみえぬはまつげ)
「魚の目に水見えず、人の目に空見えず」の語源・由来
このことわざの土台には、水の中で生きる魚と、空気の中で生きる人との対比があります。魚にとって水は命を支えるごく身近な環境であり、人にとっての空気も同じように欠かせないものです。
魚の目には水が見えず、人の目には空が見えないという言い方は、近すぎるものほど意識しにくいという考えを、身近な生き物と自然の関係で表しています。ここでいう「空」は、青空そのものというより、人のまわりに満ちている空気として受け取ると、ことわざの意味が分かりやすくなります。
この発想に近い古い表現として、中国北宋の陸佃が撰した『埤雅(ひが)』があります。『埤雅』は巻第一から第二十まで伝わる書物で、陸佃撰として記されています。
『埤雅』巻第一「釈魚」の「龍」の項には、「龍不見石、人不見風、魚不見水、鬼不見地」とあります。これは、龍は石を見ず、人は風を見ず、魚は水を見ず、鬼は地を見ない、という意味です。
この一節では、それぞれの存在が、自分にあまりに近いもの、自分を取り巻いているものを意識しにくいという発想が並べられています。現在の「魚の目に水見えず、人の目に空見えず」は、このうち「魚不見水」と「人不見風」に近い考え方を、日常の教えとして分かりやすく整えた言い方といえます。
短い形の「魚の目に水見えず」だけでも、身近にあって自分に深く関わるものほど、かえって気づかないことを表します。そこに「人の目に空見えず」を続けることで、魚だけのたとえではなく、人間の生活にもそのまま当てはまる教訓として意味が広がります。
水は魚にとって、空気は人にとって、ふだんは当たり前に思えるものです。しかし、どちらも失えば、生きることに関わるほど大切なものです。
そのため、このことわざは、家族の支え、友人の親切、毎日の安全、便利な環境など、身近すぎて見落としやすい価値に目を向けさせる言葉として使われます。当たり前と思っているものの中にこそ大切なものがあるという教えを、静かに伝えることわざです。
「魚の目に水見えず、人の目に空見えず」の使い方




「魚の目に水見えず、人の目に空見えず」の例文
- 魚の目に水見えず、人の目に空見えずで、家族の支えを当たり前のものだと思っていた。
- 電車が毎日ほぼ時刻通りに来ることにも、魚の目に水見えず、人の目に空見えずの面がある。
- 近所の人が見守ってくれていたことを知り、魚の目に水見えず、人の目に空見えずだったと感じた。
- 便利な道具ばかりに囲まれていると、魚の目に水見えず、人の目に空見えずで、そのありがたさを忘れやすい。
- 職場の資料がいつも整っているのは、魚の目に水見えず、人の目に空見えずで、裏で作業する人がいるからだ。
- 友人の何気ない助言に助けられていたことに気づき、魚の目に水見えず、人の目に空見えずという言葉を思い出した。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・松村明監修『デジタル大辞泉』小学館。
・『故事ことわざの辞典』あすとろ出版。
・『明鏡 ことわざ成句使い方辞典』大修館書店。
・陸佃『埤雅』。























