【ことわざ】
牛に引かれて善光寺参り
【読み方】
うしにひかれてぜんこうじまいり
【意味】
思ってもいなかった出来事や他人の誘いがきっかけとなり、思いがけずよい方向へ導かれることのたとえ。


【英語】
・serendipity(探していなかった価値あるものに偶然出会うこと)
【類義語】
・怪我の功名(けがのこうみょう)
・瓢箪から駒(ひょうたんからこま)
「牛に引かれて善光寺参り」の語源・由来
「牛に引かれて善光寺参り」は、信心の薄い老婆が牛を追いかけるうちに善光寺へたどり着き、思いがけず仏縁を得たという伝説にもとづくことわざです。もとの話では、本人の願いや計画ではなく、偶然の出来事が人をよい方向へ導く力として描かれています。
善光寺は長野市にある古い寺で、昔から多くの人が参詣してきました。このことわざの背景には、善光寺の近く、または信濃の国の村里に住んでいた老婆の伝説があります。
伝説では、老婆が干していた布を、一頭の牛が角に引っかけて走り去ります。老婆は布を取り戻そうとして牛を追いかけ、気づかぬうちに善光寺の金堂の前まで来てしまいます。
日が暮れるころ、牛の姿は消え、老婆は善光寺の仏の光に照らされます。そこで老婆は、牛の涎(よだれ)が文字のようになっているのを見て、ただ牛だけを追ってきたのではなく、仏の道へ導かれたのだと気づきます。
その夜、老婆は善光寺如来の前で念仏を称え、これまでの心のあり方を改めます。布を惜しんで牛を追ったはずの行動が、結果として信仰に目覚めるきっかけになったところに、このことわざの意味の核があります。
後日、老婆が近くの観音堂に参ると、牛が持ち去ったはずの布が観音のもとにありました。これによって、牛は観音菩薩の化身であり、老婆を善光寺へ導いたのだと語られます。
この観音は、現在の小諸市にある布引観音と結びつけて語られています。「布を引いた牛」という筋立てと、「布引観音」の名が重なり、信濃の土地に伝わる善光寺信仰の物語として親しまれてきました。
「牛に引かれて善光寺詣り」という文句は、江戸時代に善光寺信仰の広まりとともに全国に知られるようになったと伝わります。江戸時代後期の浮世絵師、東都錦朝楼芳虎の「牛に引かれて善光寺詣り」と題する絵に添えられた文章にも、この説話が伝えられています。
ことわざとしての古い用例には、『俳諧・世話尽』(1656年・江戸時代前期)の「曳言之話」に見える「牛にひかれて善光寺参」があります。この時期には、伝説の筋をふまえた言い方が、すでにことわざとして通じる形になっていたことが分かります。
もとの話には仏教的な意味合いが強くありますが、今では宗教的な文脈に限らず使われます。人に誘われて出かけた先でよい経験をしたり、偶然の成り行きから新しい世界を知ったりする場合に、「牛に引かれて善光寺参り」と言います。
「牛に引かれて善光寺参り」の使い方




「牛に引かれて善光寺参り」の例文
- 友人に誘われて参加した科学教室で将来の夢が見つかり、牛に引かれて善光寺参りとなった。
- 母について行った展覧会で好きな画家に出会い、牛に引かれて善光寺参りのような一日になった。
- 同僚に連れられて出席した勉強会が仕事の転機となり、牛に引かれて善光寺参りだったと感じた。
- 祖父の散歩に付き合っただけだったが、地域の歴史を知ることができ、牛に引かれて善光寺参りになった。
- 兄に頼まれて手伝ったボランティア活動で新しい友人ができ、牛に引かれて善光寺参りの結果となった。
- 気の進まない見学旅行だったが、そこで進路のヒントを得たので、牛に引かれて善光寺参りと言える。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・浄土宗総合研究所編『新纂浄土宗大辞典』浄土宗。
・善光寺事務局『逸話|善光寺』善光寺。
・『俳諧・世話尽』1656年。
・東都錦朝楼芳虎「牛に引かれて善光寺詣り」江戸時代後期。
・Merriam-Webster『Merriam-Webster.com Dictionary』Merriam-Webster、2026年参照。























