【故事成語】
怨み骨髄に入る
【読み方】
うらみこつずいにいる
【意味】
心の底から、骨の髄にまでしみ込むほど深く人を恨むこと。


【英語】
・bear a grudge against someone(人に恨みを抱き続ける)
【類義語】
・恨み骨髄に徹す(うらみこつずいにてっす)
【対義語】
・水に流す(みずにながす)
「怨み骨髄に入る」の故事
「怨み骨髄に入る」は、前漢の司馬遷が紀元前1世紀にまとめた『史記(しき)』の「秦本紀(しんほんぎ)」に出てくる「此の三人を怨むこと、骨髄に入る」という言葉に基づきます。
話の舞台は、中国の春秋時代です。紀元前627年、秦(しん)の穆公(ぼくこう)は、百里奚(ひゃくりけい)や蹇叔(けんしゅく)の反対を聞き入れず、遠く離れた鄭(てい)を不意に攻めようと、軍を送りました。
ところが、秦軍の動きを知った鄭の商人は、鄭の君主からの贈り物であるかのように装い、牛を差し出しました。鄭が攻撃に備えていると思った秦の将軍たちは、鄭への進軍をあきらめ、帰り道に別の国を滅ぼしました。
そのころ、晋(しん)では文公(ぶんこう)が亡くなり、まだ葬儀も終わっていませんでした。秦軍の行動を無礼と受け取った晋の太子は、崤山(こうざん)で待ち伏せし、秦軍を大敗させて三人の将軍を捕らえました。
晋の文公の夫人は、秦の穆公の娘でした。夫人は、捕らえられた秦の三将を救うため、晋の君主に対して一計をめぐらせます。
夫人は、父の穆公が敗戦の責任を負う三人をひどく恨んでいると語り、「繆公の此の三人を怨むや、骨髄に入れり」と訴えました。これは、三人に対する恨みが骨の髄まで入り込んでいる、という意味です。
さらに夫人は、三人を秦へ帰し、父の手で処刑させてほしいと願い出ました。晋の君主はその言葉を信じ、三人の将軍を釈放して秦へ送り返しました。
しかし、穆公は三人を恨んではいませんでした。質素な服を着て郊外まで出迎え、自分が百里奚と蹇叔の忠告を聞かなかったために三人を辱めたのだと謝り、以前と同じ官職に戻して、いっそう厚く待遇しました。
したがって、故事の中の「骨髄に入るほどの恨み」は、穆公の本心を述べた言葉ではありません。三人を助けるために夫人が用いた、機転の利いた偽りでした。
同じ出来事を記す『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』では、夫人は、父が三人を手に入れて食べても飽き足りないほど怒っていると訴えています。「骨髄に入る」という形は使われておらず、この表現は『史記』の「秦本紀」に記されています。
日本では、『太平記(たいへいき)』(14世紀後半成立、作者未詳)巻四に、「恨骨髄に徹て忍び難し」という用例があります。越王勾践(こうせん)の苦境を聞いた范蠡(はんれい)が、骨の髄までしみ通るような恨みを抱く場面であり、「入る」ではなく「徹る」の形が用いられています。
近代にも、太宰治の『春の盗賊』(1940年)で「うらみ骨髄に徹して」という形が使われています。このように、日本語では「怨み骨髄に入る」のほか、「恨み骨髄に徹す」「恨み骨髄に徹る」という言い方も広まりました。
現在の「怨み骨髄に入る」は、『史記』に記された具体的な策略を離れ、骨の奥までしみ込んで消えないほど、心の底から相手を恨むことを表します。
「怨み骨髄に入る」の使い方




「怨み骨髄に入る」の例文
- 一族を滅ぼされた武将は、敵将を怨み骨髄に入るほど憎み、長く復讐の機会を待った。
- 無実の罪で投獄された男は、自分を陥れた友人を怨み骨髄に入るほど憎んでいた。
- 土地を奪われた村人たちの領主への憎しみは、怨み骨髄に入るという言葉がふさわしいほど深かった。
- 小説では、家族を傷つけた犯人を怨み骨髄に入るほど憎む主人公の苦しみが描かれている。
- 長年の迫害によって、両家の対立は怨み骨髄に入るほど激しいものとなった。
- 戦争で故郷を失った彼は、侵略者を怨み骨髄に入るほど憎んだが、最後には報復を思いとどまった。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・司馬遷『史記』前漢、紀元前1世紀。
・『春秋左氏伝』。
・『太平記』14世紀後半成立。
・太宰治『春の盗賊』1940年。
・Cambridge University Press『Cambridge Dictionary』。























