【故事成語】
雲霓の望み
【読み方】
うんげいののぞみ
【意味】
大日照りに雲や虹を待ち望むように、救いや好機などの到来を切実に願うこと。


【類義語】
・大旱の雲霓を望むが若し(たいかんのうんげいをのぞむがごとし)
「雲霓の望み」の故事
「雲霓の望み」は、『孟子(もうし)』の「梁恵王下(りょうけいおうげ)」に出てくる言葉にもとづきます。『孟子』は、中国の戦国時代に活躍した儒者・孟子の思想や言行を伝える書物です。
この言葉が出てくるのは、斉(せい)が隣国の燕(えん)を攻め取ったあとの場面です。燕を救おうとする諸侯が斉への攻撃を企てたため、斉の宣王は、どのように対処すべきかを孟子に尋ねました。
孟子は、その答えの中で、殷(いん)の王朝を開いた湯王(とうおう)の話を取り上げます。湯王が暴君を討つために、葛(かつ)という国から征伐を始めると、ほかの土地の人々までもが、その軍の到来を待ち望みました。
湯王が東へ進めば西の人々が残念がり、南へ進めば北の人々が不満を抱きました。人々は、「なぜ私たちの所をあとにするのか」と、自分たちも早く救ってほしいと願ったのです。
その思いを表した原文が、「民望之、若大旱之望雲霓也」です。これは、「民が湯王を待ち望むさまは、大日照りのときに雲や虹を待ち望むようであった」という意味です。
「雲霓(うんげい)」の「雲」は雨をもたらす雲を、「霓」は虹を指します。雨の降らない日が続けば、作物は枯れ、人々の暮らしも苦しくなるため、空に雲が広がり、雨が降って虹が現れることは、命をつなぐ恵みの前触れでした。
人々が湯王を待ち望んだのは、ただ強い軍隊を率いていたからではありません。湯王は、人々の仕事や暮らしを妨げず、悪い君主を罰する一方で、苦しんでいる民をいたわったとあります。
その救いは、必要な時に降る雨にたとえられました。乾ききった大地を雨が潤すように、正しい政治を行う王の到来が、苦しむ人々に生きる希望を与えたのです。
孟子は、この話を通して、斉の宣王にも厳しい注意を与えました。燕の人々を苦しみから救い、思いやりのある政治を行うなら歓迎されますが、家族を殺し、子どもたちを捕らえ、祖先を祭る建物を壊し、宝物を奪えば、救いではなく、新たな苦しみを与えることになります。
したがって、原典で人々が切実に待ち望んだものは、自分たちを苦境から救う正しい王でした。「雲霓の望み」には、ただ願いがかなえばよいというだけでなく、救済を心の底から求める切迫した思いが込められています。
同じ湯王の話は、『孟子』の「滕文公下(とうぶんこうげ)」にも出てきます。そこでは「大旱の雨を望む」と表されており、「雲霓」が、待ち焦がれる雨とその兆しを表していることが分かります。
明代の学習書『幼学瓊林(ようがくけいりん)』には、「望切者、若雲霓之望」とあります。「望みの切実なことは、雲霓の望みのようである」という形にまとめられ、原典のたとえが、簡潔な言い回しとして受け継がれました。
日本でも、大隈重信の『東洋学人を懐う』(明治41年、大隈重信著)に、新しい知識をもつ人物を求める思いを「大旱に雲霓もただならず」と表した用例があります。雨を待ち焦がれる原典の比喩が、優れた人材や救いとなる存在を強く求める表現へと広がったことが分かります。
現在の「雲霓の望み」は、救援、好機、優れた人物、待ち続けた知らせなどを切実に望む場面に用います。苦境が深いほど、その望みの強さがはっきりと伝わる故事成語です。
「雲霓の望み」の使い方




「雲霓の望み」の例文
- 被災地の人々は、一日も早い救援に雲霓の望みを寄せた。
- 長い日照りに苦しむ農民は、雨雲の到来を雲霓の望みとして待った。
- 新しい治療法の完成は、患者たちにとって雲霓の望みだった。
- 会社の再建を託された新社長に、社員一同は雲霓の望みを抱いた。
- 孤立した村の住民は、救援隊の到着を雲霓の望みをもって待ち続けた。
- 長く停滞していた交渉に仲介者が現れ、関係者は雲霓の望みをつないだ。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・『孟子』戦国時代。
・程登吉『幼学瓊林』明代。
・大隈重信『東洋学人を懐う』1908年。























