「釈迦に宗旨なし」の意味(類義語)
【ことわざ】
釈迦に宗旨なし
【読み方】
しゃかにしゅうしなし
【意味】
釈迦は仏教の本尊なので、宗門や宗派はない。宗派同士の争いは意味がない。
ほんなら、みんながちゃうちゃうって言っても、結局は同じお釈迦様の教えってことやんな。そやから、「うちの宗派が一番ええ」とか言い争うんはナンセンスってわけや。
仏様の教えはみんな同じ、っていう大元の話に戻るってことか。争うんはおかしいって、そういうこっちゃね。
【類義語】
・宗旨の争い釈迦の恥
・宗論はどちらが負けても釈迦の恥
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「釈迦に宗旨なし」の解説
カンタン!解説
「釈迦に宗旨なし」という言葉は、お釈迦様っていうのはね、仏教のすごい大事な先生みたいな存在で、そのお釈迦様自身には、特定のグループやチーム、つまり「宗派」っていうのはないって意味なんだ。
仏教っていろんな教えがあって、ちがうグループやチームに分かれていることがあるんだけど、本当はね、みんなお釈迦様の教えを大切にしているのが一緒なんだよ。だから、お互いに「ウチの教えの方がいいよ!」ってケンカするのは、本当は意味がないっていうことを教えてくれているんだ。
つまり、みんなが同じお釈迦様から学んでいるんだから、争ったりすることはないんだよね。みんながお釈迦様の教えを大事にして、互いに尊重し合うことが大切だっていう教えなんだ。
「釈迦に宗旨なし」の使い方
同じイスラム教なのにシーア派とスンニ派が対立しているね。
釈迦に宗旨なしなのにね。
アッラーはそんなの喜ばないんじゃないかな。
早く仲直りして一つになってくれたらいいなって思っていると思うわ。
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「釈迦に宗旨なし」の例文
- キリスト教は、汝の敵を愛せよと教えているがプロテスタントとカトリックで対立している。釈迦に宗旨なしなのに、キリスト教は違うのだろうか。
- 釈迦の教え慈悲があるので、宗派が違っても釈迦に宗旨なしで争いは起きない。
- 同じ神を崇めているなら釈迦に宗旨なしだ。殺し合うほどでも無かろうに。
- 釈迦に宗旨なしで宗派同士の争いは意味がないが、エルサレムはユダヤ、キリスト、イスラムの聖地になっているため争いが頻発している。
- 仏教には宗派がたくさんあり葬儀の仕方が異なるが、釈迦に宗旨なしで仏を敬い崇め奉る点は同じだ。
だから、仏教のさまざまな宗派間で争いがあっても、それは本来の教えからすれば無意味だと教えてくれているんだよ。