「糟糠の妻」の意味(語源由来・出典・類義語・英語訳)
【ことわざ】
糟糠の妻
【読み方】
そうこうのつま
【意味】
貧しく苦しかったころから、ともに苦労をして長年連れ添ってきた妻のこと。
これは、経済的に厳しい時でも夫を支え続けた妻への敬意や感謝を表してるんや。夫婦の強い絆や一緒に乗り越えた困難の重要性を教えてくれてるんやな。
【語源・由来】
後漢の光武帝が寡婦(かふ)になった姉を大司馬(たいしば)宋弘にめあわせしようとして、「ことわざに人は出世すると交際相手を替え、金持ちになると妻を替えるというが、それが人情だろう」と言って、妻を替えるようにほのめかしたときに、宋弘は「貧賤の知(友達)は忘るべからず。糟糠の妻は堂より下さず(表座敷から下ろさないほど大切にしなくてはならない)」と答えたという故事に基づく。
「糟糠」とは、酒粕とぬかのことで、粗末なものという意味。
【出典】
「後漢書」宋弘
【類義語】
・糟糠の妻は堂より下さず(そうこうのつまはどうよりくださず)
【英語訳】
It is both a suffering-troubles wife. Good wife.
「糟糠の妻」の解説
「糟糠の妻」という表現は、貧しい時期から共に苦労を共有し、支えあってきた妻を指す言葉なんだよ。「糟糠」とは、文字通りには酒粕(糟)と米ぬか(糠)を意味し、貧しい生活の象徴として使われているんだね。この言葉は、貧しさの中でも一緒にいた配偶者への深い絆と感謝を示しているよ。
「糟糠の妻は堂より下さず」という言い回しもよく使われ、これは、自分が富貴になっても、苦労を共にしてきた妻を大切にし続けるべきだという意味を持っているんだ。この表現は、長い間一緒にいた配偶者に対する尊敬と忠誠を表しているんだね。
この言葉の出典は『後漢書』の宋弘伝で、中国後漢の光武帝が、寡婦となった姉と家臣の宋弘を結婚させようとした際のエピソードに基づいているんだ。宋弘が結婚の申し出を断る際に、「貧しい時に交わった友は忘れてはならず、貧しい生活を共にした妻は、正堂から下して棄てて離縁するようなことはしない」と述べたことから、このことわざが生まれたんだよ。
このことわざは、苦難の中での忠誠や深い絆の重要性を教えてくれるんだね。また、人生の浮き沈みを共に乗り越えた配偶者への感謝と敬意を示す言葉としても使われるよ。
「糟糠の妻」の使い方
「糟糠の妻」の例文
- 五十年連れ添った糟糠の妻を失って、とてもさみしい毎日を送っていると、友人から手紙が届いた。
- 糟糠の妻には感謝してもしきれない思いでいっぱいです。
- 友人から、糟糠の妻と銀婚式を迎えましたという挨拶状が送られてきた。
「これほど華やかなパーティーは、糟糠の妻のようなうちの女房には似合わない場所だよ。」などと使うのは誤り。
「糟糠の妻」の文学作品などの用例
この度の大任こそ、男の死にどころ。さむらいたる自分が、進んでまた歓んで、糟糠の妻や幼いものを後にのこして死所に就いたという心もちは、さむらいの妻だ、おまえはよく分ってくれるだろう。(吉川英治の親書太閤記より)
まとめ
糟糠の妻というように、貧しいときにもしっかりと夫を支えた妻の存在は、心強いものなのではないでしょうか。
また、糟糠の妻の由来となった宋弘は、とても愛妻家ですね。
経済的に苦しい時期でも夫のそばにいて支え続けた妻の忠誠と努力を称える意味があるんだね。夫婦間の深い絆と共に乗り越えた苦難の象徴なんだ。